冬空の下

第二章 平穏な日々








 庭木の枝の奥を三羽の雀が翔て行く。透き通った冬の空をすぅ、と過ぎて行った。雲一つない蒼い空。何時もは(えない遠くの山も、此の澄んだ空なら覧る事が出来るだろう。

 志貴は【衛宮邸】の庭で仰向けに蒼空を見上げていた。
 肌膚に触れる草の湿った冷たさが心地善い。ひりひりと刺す様な冬の寒さではなく、ひんやりとした冷たさが躰を包む。此の寒さが【冬木市】の冬の特徴の一つだと士郎が云っていた。地面に横になっているのだから、黒袴は汚れが目立たないだろうが、蒼羽織は汚れが目立ってしまうだろうか。否。羽織の蒼色は濃いから目立たないだろう。

 志貴は【衛宮邸】に来て寝る寝る食べる寝る寝る食べると云う自堕落な一週間を過ごし、其れからは散歩したり昼寝したり近所の猫と戯れたりと緩やかな一週間を過ごしていた。

 今まで張り詰めた毎日の反動なのか、生来のぐぅたらが【衛宮】に来て発揮出来る場を獲得して自己主張しているのか。其れは志貴にも解らない。しかし。
 志貴が気付かぬ黒い泥は変わらず志貴を包んでいる。が、和らいでいる事は(たしかである。

 大河は未だに独り身で【衛宮邸】を襲撃しているそうだ。全く変わっていない事に志貴は驚いた。性格は変わらず、容姿も全く変わらないのだ。進歩がないとも云う。婿に来る者は果たしているのだろうか。大河の知り合いで一番仲が善いのは士郎ではないかと思う。桜が許せば――。否。
 有り得ない事だった。桜が許す筈がない。

 桜はイリヤが士郎に抱き付ついたら、イリヤにではなく士郎を対象として色色やっていたのを此の二週間にしばしば見掛かけた。

 ――其れを(て、志貴は過去の記憶を思い出す事は嬉しいのだが、何となく思い出したくないのも思い出され少し鬱になった。【地下室】は――やめれ、アンバーは――やめ。否。助けて。殺され。

 『協会』の【時計塔】に居る凛は如何しているだろうか。士郎たちは幸福(しあわせそうだが、未だに解決出来ていない問題も山積みの様である。

「志貴、お茶の時間です。冷めてしまうので早く来て下さい」

 冷えた空気の中を鈴を転がした様な声音がすっ、と抜けた。

 志貴は躰を起こして声の方を向いた。

 一人の背が高い女性が縁側に立っていた。ライダーだ。  淡い桜色のセーター。ピッとしたジーンズ。チェックのガーディガンを羽織っている。豊かな胸。少し大きめな銀縁眼鏡。長い紫髪をシニョンに纏めている。桜が毎朝纏めているそうだ。志貴は其の髪を纏めている光景を見て桜とライダーは親娘の様な雰囲気を持っているな、と思った。桜の方が親である。

 ちなみにシニョンとはセイバーの様な後頭部、襟元に束ねた洋髪の(まげ)を指す。しかしセイバーの髪型とは違い、より髪が跳ねる様に束ねられており、凛としたライダーを行動的に魅せている。

「判った。すぐ行くよ」

 志貴は座ったまま頷き、立ち上がって埃をパンパンと叩いて落とした。























 ズズゥー。
 ――――ふぅ。

 炬燵に這入った志貴とライダーは熱い緑茶を啜って、茶の美味しさでふわっとした柔らかな雰囲気に包まれた。小さな事だが幸福(しあわせを感じられる。

 炬燵の中央には蜜柑と煎餅(せんべいが置いてある。蜜柑と煎餅は茶受けとして王道だが、今回のメインは違う。【燦泉堂】のどらやき全三種類が一つずつライダーの前に置いてある。ちなみに志貴の前には醤油煎餅のみだ。此のどらやきは『衛宮家』の家計を握る衛宮桜からライダーへ与えられた月に一度の小遣いでライダーが買った物であり、志貴が食す権利はない。
 だが。
 ライダーは一人で全部食べる気はないらしく、置いてある三つとは別の手に持っているどらやきを割り、半分志貴に手渡した。残りの三つは志貴に渡す思い等欠片もない。【燦泉堂】のどらやきは買うのに三十分も並んだ物であり、安易にあげられる物ではない。

 故にライダー所有の茶受けは大河が天敵であり、ライダーは買った茶受けを隠している。秘蔵の品は一つ二つではない。
 どらやき一つを割って、半分あげただけでも寛大な精神の表れなのだ。



 ライダーは【衛宮家】の留守を護っている。マスターである桜を護るのが使い魔として正しいのだが、其の役目は士郎が(つとめている。

 士郎は『WHIRL WIND』と云うバイク関連の個人経営の店に大学時代にバイトをしていて、後に正社員として雇われる事になったのだ。桜はアルバイトとして其の店に勤めている。

 『遠坂』の【冬木】を管理すると云う役目を代行している桜が生活に必要な費用は稼げているのだが、士郎は自分が稼がないと俺は情けない、と云って就職したそうだ。『此方側』に居るのに関わらず『魔術使い』の彼は『彼方側』の仕事を手に持つ事にしたのである。『此方側』でも稼ぐ手段はあるにはあったのだが、結局『彼方側』の仕事に落ち着いたのだ。

 ライダーは士郎と桜が仕事に行き、イリヤと大河が学校に行っている間をライダーなりに楽しんでいる。其の一つが10時と3時にお茶をとる事で、御菓子作りが趣味だとか。朝夕の料理作りは士郎と桜が譲ってくれず、御菓子中心へと興味が向かったのだ。ちなみにお昼は作り置きして貰っている。

 志貴は【衛宮】に来て三日後から茶の時間に加わっている。志貴の前で御菓子を食べても、志貴は自分から秘蔵の菓子を催促する事がなかったからである。御菓子を食べる事は作る事の参考にもなるので、ライダーにとって簡単には譲れない品物だ。



 ライダーは目を細めてハムハムと美味しそうに欠けたどらやきを食べている。

「それにしても」

「はい?」

 志貴の声にライダーは貌を上げた。

「平和だねぇ」

 志貴はそう云うと、炬燵の中央にある蜜柑を取った。

「そうですね。『聖杯戦争』が終わってから六年間、幸福(しわあせに暮らしています。士郎たちと小さな事に一喜一憂したり、遊園地なる処に連れていって貰ったりもしました。毎日が楽しいです。日常と非日常が逆様(はんたいになってしまった感じです」

 ライダーは凄く幸福(しあわせそうに柔らかく微笑った。眼鏡の奥の瞳が穏やかに細められている。

 『英霊』は『人類の抑止力』として人の綻びを正しに行く『守護者』とは若干違うが、戦いとは無縁の存在にはなれない。
 其れなのに【衛宮邸】に来て『聖杯戦争』が終わってからは、毎日が楽しい日日である。

「そう云えば、志貴」

「ん?」

「貴方が云っていた東北へ行く用件はどうしたのですか? 全く出掛ける様子がありませんが」

 ライダーは新たにどらやきを手に取り、志貴に(いた。

「――ああ。其の件ね。其の人はあっちからこっちに来る事に変わったよ。『陰陽寮』経由で云われて、今日の夕食の時に皆に云おうと思っていたんだ」

「日本の退魔機関――『内閣直属霊的防衛機関陰陽寮皇士管理局』ですか。私は詳しい事は知りませんが、其処に所属している方なんですか?」

「そうだよ。(たしかか『護幻帝士』だったかな」

「『護幻帝士』?」

「二、三万人程居る『陰陽寮』の『戦術士』から選ばれたエリート。『護幻帝士』は日本に5、600人ぐらいしかいないと思ったよ。どの部署かは忘れたけどね」

「何故其の様な方が」

「ん〜。彼は血液に関する魔術師。否。魔術師じゃなかったっけ。何だっけ。ああ、中国明の時代から続く『方士』だ。昔は仙人みたいな位置付けだったらしいけどね。吸血鬼の吸血衝動について調べているって聞いたから前に一度訪ねたんだ」

「――アルクェイド・ブリュンスタッドの為に、ですか」

 ライダーは尋いても良いのか一瞬思案し、若干小さな声で問うた。

「ああ、彼奴がまた城に戻る事になったのは俺の所為だからね。連れ出して外の世界で遊ばしてやるのが俺の夢だ」

 志貴の瞳に浮かんだ光りは眼鏡と云うフィルターを通し(ながらも、力強い火を(ともしているのをライダーには覗けられた。

「そうですか。月並みですが、頑張って下さい。解決は不可能と云われている吸血衝動ですが、何か一つは救いがあると思いますから」

 志貴の雰囲気はいつもと変わらない柔らかさがある。しかし。
 何処か欠陥がある様にライダーには感じられたが、微笑みを浮かべて返事を返せた。

「其れと彼の継承されている(あざなは『血喰仙』だったかな。物騒な二つ名だよ」

「貴方が云える事でもないでしょう。『殺人貴』」

「まあね。けど今は『殺人貴』は休業中。ただの志貴だよ」

(あざなに休業はないのですが、まあいいでしょう。私も貴方が張り詰めているより其方の方が好い。其れにしても何故其の方は『血喰仙』なんて(あざなを」

「本人に聞いたんだけど、継承してきた能力かな。慥か血を飲むんだ」

「――血を。吸血種ですか」

「如何だろう。三度の飯より血が好きだ、と云っていたから間違いではないと思うけど。獣とか人とかなんかの色色な血液を飲むんだ。今は、獣の血は狩って飲むらしいけど、人の血は輸血パックからだって。先祖代々飲んできた血を内包していて、止血せずに垂れ流したら東京ドーム数杯分はあるんじゃないか、と言ってたよ」

「――は? ありえません。親と子は別であり、飲んだ血を身に留め、更に子孫へ伝える『神秘』等聞いたことありません。否。魔導的処置により留め、伝える方法があるのでしょうか」

「さぁね。俺は魔術に詳しくないから。そして使う魔術は血に付加意味を加えるらしいよ。そんな気楽に自分の魔術を人に教えて良いのか判らないけどね」

「其れはどうでしょうか。一概に決めつける事は出来ませんから。其れにしても血に付加意味ですか。(たしかに血は魔術媒体としても優れている魔術回路の一つですが、其れだけの情報では具体的にどの様な魔術を使うか解りませんね」

「まあね。其れから姓は民谷(たみや、名は鏡耶(かがみや。ああ其れと、其の人には妹が居るんだけど絶対何かしちゃいけないからね。妹でもあり妻だから。名は慥か可憐(かれんだったかな」

「――え?」

 ライダーは眼を丸くして驚いた。現代では余り聞かない言葉だ。

「つまり近親婚。そして両親の話題も禁忌。と云うよりも、あれは呪いだね。子細(わけは」



 民谷家は本家と二つの分家を持つ家系である。他家や国とは関わらずに、一族内の閉鎖空間で生涯を終えたそうだ。発生は何時の時代か不明だが、書に記された歴史は明の時代から始まる。中国から日本に何時如何して渡ったかも解っておらず、第二次世界大戦後に日本の『此方側』の歴史に登場したそうだ。

 其の一族が守る掟は狂っているとしか云えない。

 当主譲渡の際は子が親の首を斬り落とし、其の血を溜飲する。そして心臓を喰らい心臓に刻まれた魔術刻印を直接取り込むのだ。

 一族が飲んできた血を薄めない為に、代代兄妹か姉弟で交わり子を為すのである。近親相姦はよく忌み子を多く産んだそうだ。忌み子は一族内で鬼子と呼び、親が殺し我が子の血さえ飲み干すと云われている。健康児が男女産まれるまで大量に生産し、殺したそうだ。

 幸い150年前に忌み子を産まない呪法が印を結び、子殺しの行為は無くなったとか。

 七日七晩男女互いの鮮血に(まり、満月の夜に交わるのだ。生理は儀式の最中に躰が勝手に満月の刻に子が為し易い様になるそうだ。

 其れでもしきたりの様に代代親子間の感情は覚めている。親にとって子は殺しても代えがきくモノであり、子にとっては兄弟姉妹が殺された為だ。今は殺されないとは云え、其の習性は残っている。

 其れ故に兄妹、姉弟の仲が深まり恋仲になるのだが、独特な環境――閉鎖空間――も作用して仕組まれた恋愛感情である。



「と云われているそうだよ。此は『陰陽寮』の記録書に記されてあったんだけどね。血液に関しては病的なまでに研究しているんだ。まあ魔術師だから当然と云えば当然なんだけどね」

 志貴は長い説明を終えると茶を呷った。新たに茶を茶碗に注ごうとするが、急須には茶が無くなったらしく、ポットから湯を注ぎ番茶を用意した。

「――閉鎖空間で掟ですか。仕方ないのかもしれませんが、正直好ましくありませんね。今は開けたのでしょうけど、其の区切られた世界では其の事は当然(あたりまえだったんでしょうね」

 我が子を殺す親――。
 継承の儀で親を殺す子――。
 代々兄妹、姉弟で契る恋愛――。

 其の事が当前で、
 其れが決まりで、
 世界の掟なのだ。

「いんや。未だに続く掟らしい。と云っても呪法を開発してしまってから兄妹以外で子を為す事が出来ないらしいよ。(まじないで解決出来た事象があれば、(まじないで掛かった呪いもあるわけだ」

「そう、なんですか」

「そして噂なんだけど、妹は淫蕩の病らしい。色欲に耐えられず兄を求めて【衛宮家】までついて来るそうだよ」

 ライダーは其の言葉を聞いて眉を顰めた。淫蕩の病――ライダーにとって無関係ではない事象だ。ライダーのマスターの桜も『聖杯』の後遺症で溢れ出す魔力を処理する為に士郎と交わる回数は多い。

 はぁ、とライダーは肩を落として溜息を(いた。

「――何やら平穏がなくなりそうな予感がしてきました」

「うん。俺もそう思っている」

 其の言葉にライダーは片眉を吊り上げたが、最後の一つのどらやきを手に取って気を紛らわした。

「そう云えば志貴。此の後の予定はありますか」

 ライダーはどらやきを両手で抱え乍ら上目遣いで志貴を見上げてきた。

「否、暇だよ」

「なら【商店街】まで付き合って下さい。御菓子の材料等を買う為に荷物持ちが欲しいです」

「ん〜。特にやる事もないから別に良いよ」

 ライダーは其の言葉に眼を細めて柔和な表情で云う。

「ありがとうございます。御礼として午後に作る予定の和菓子を一番に差し上げますよ」

 じゃあ楽しみにしてますかね、と云い乍ら志貴はごろん、と畳の上に背を倒した。























 ライダーは空を仰いだ。何も無い空である。薄蒼色がすうと引き伸ばされて広 がっている。【衛宮家】の縁側で観る空と此の【商店街】の路地から入る【公園 】から観る空は何処か違って見えた。

 買う物は買った。小麦やら砂糖やら、【衛宮の家】に買い置きしている物では なく、猫を飼っている近所のお婆さんの薦めで買った銘柄物である。詳しくは知 らないが、味が一回り引き立つと聞いたのだ。

 ライダーの隣では志貴が同じ様に空を仰いでいる。否、志貴が仰いでいたから こそライダーも空を見上げてみたのだ。そう云えばライダーは、志貴は【衛宮の 庭】で朝から空を眺めていた気がした。



 【商店街】を回っていた時は志貴から会話をよく振られたが、今は静かな空間 で一緒に空を眺めている。こういう静かな雰囲気がライダーは割と好きだった。 ごちゃごちゃと楽しむのも善いが、(ゆるり と過ごす時間も善い。

 二人は(しばし無言だったが、志貴が口を 開いた。

「士郎たちを見守ってきて、如何だった」

 その声音には柔らかな感情があり、若干の後悔もあった。

「幸せ、です」

 ライダーは過去――聖杯戦争が終わった直ぐ後――に志貴から言われた言葉を 思い出した。否、忘れた事はない。其の言葉は同好の士を見つけたが如し、心を 打つ言葉だったのである。



 ――士郎たちが如何行った道を進むのか知りたいのかもね。



 其れは志貴の言葉。
 老成した青年が云った言葉。
 士郎たちを見守れなかった者の言葉だ。

 其の言葉を(たがえてしまったが故に、柔 らかな言葉の中に後悔、か。

 あの時、ライダーはは其の言葉で士郎とイリヤの治療を任せられる、と志貴を 信じてしまった。不意に湧いて出た者達を信用してしまうなんて軽率な行為だっ たが、今なら自分の判断は正しいと云える。

「おはようございますとおやすみなさいを云える相手が居る。一日の初めと終わ りを供に過ごして、また明日も一緒に居られる。些細な事ですが、私は其れだけ で嬉しいんです」

 ライダーは硝子玉(ひとみの奥に過去の情景 を映し出した。今となってはどれも良き思い出である。
 お茶の時も同じ様な事を話したが、此の言葉には其の時よりも深く想いが込め られていた。

「一緒に居られる――。そうだね。其れは、幸せだ」

 想いを含んだ呟きが【公園】に浸透していった。波紋の様に其の場に満ちた。

「一人だけで朝を迎えるのではありません。食卓へ行けば私の食事が用意され、 皆が起き出して一カ所に集まる。士郎とサクラが食事を作り、イリヤが運び、私 が呼ばれ、タイガがやって来る。今は一人増えましたね。シキ、貴方です」

 縁が繋がる事は嬉しい事です、とライダーは云った。

「縁、ね。(なにがしかの縁でまみえる事は 良い。楽しくて、そして俺の為にもなる。(きょう 事に会うのも縁だろうが、幸事に会うのも縁だしね」

 縁が付く熟語には様々な言葉がある。因縁、縁故、宿縁など。七夜の里が滅ぼ されたのも先生に会えたのも何もかも、縁と云えば縁だし運命と云えば運命で偶 然と云えば偶然である。ただの言葉遊びだが、云える事は一つある。起こった出 来事は変えられない。しかし心の内で如何とでも捉えられる。厭な事だったのか 、善い事だったのか――。

「貴方が来て生活(くらしが変わった。変わる と云っても実際は何も変わっていない。ただ、楽しみを分かち合う人が増えたの は嬉しい」

「『殺人貴』がなりを潜めようと、兇事は向こうからやって来るよ」

「其れこそ今更です。投影魔術使いと規格外の魔力保有者、『アインツベルン』の元『聖杯』、『時計塔』の天才魔術師、そして英霊である私。舞い込んだ兇事は一つ二つじ ゃありません。貴方たちに会えなくなってからも『此方側』の出来事を幾数も処 理しました。だから」

 莫迦(ばかな事を考えないで下さい、とライ ダーは云った。

「莫迦な事かな」

 志貴はすうと隣のライダーを見遣った。紫銀の髪がさらりと陽の光を反射し、 白い(うなじが陽に輝いて艶めかしい。

「ええ、莫迦です。事になりそうだからと【冬木】から去る必要はありません」

「――お見通しか」

 志貴はまた空を見上げた。空は抜ける様に高い。薄く雲が( なびいている。

 ライダーは平穏がなくなりそうだ、と茶会の時に云った。其の時志貴は自分も そう思う、と云った。ならば――。

「貴方は莫迦ですからね。何を考えているか予測するのは簡単です。まあ其れが 、『彼方側』の日常の範囲内ですが」

 ライダーの言葉には『此方側』での行動は解らない、と含んでいた。

「そっか。そうだね。まだ『衛宮家』で厄介になろうかな」

「当然です。寛悠(ゆっくりしていって下さい 」

 ライダーは口許を綻ばせて微笑った。



 【冬木市】は特別である。【蒼崎の土地】に次ぐ一等霊地で『協会側』の『遠 坂』が管理する土地だ。『教会側』の教会もある。
 其処に日本の退魔機関『陰陽寮』の者が来るのだ。『陰陽寮』は『神秘』の公 開をしている。其れは、魔術を隠秘(オカルト を隠蔽する『協会』と対立し、神に仕える聖職者が起こす『奇跡』と混同される 。此らは『協会』と『教会』にとって禁忌であり、『陰陽寮』とは相入れない。

 二大組織の影響を強く受ける【冬木市】に『陰陽寮』の者が来るのは其れだけ で事件なのだ。



「シキー、ライダー何やってるの? お散歩?」

 【公園】を幼い声音が通った。

 志貴とライダーは公園の入り口へ貌を向けた。イリヤが制服姿で革張りの四角 い手持ちトランクを両手で持って立っていた。とことこ、と銀色の髪を風に流し 乍ら近付いてくる。
 革張りのトランクは学校へ持って行くのには無骨な鞄だがイリヤは割と気に入 っている。橙の魔術師から借り受けた品であり、性能も折り紙付きだ。――色色 と。

「御覧の通りの荷物持ちだよ。今日、イリヤちゃんは半ドンだっけ」

 志貴はベンチの端に置いてある荷物を指差して云った。白いビニールを透けて 中の物がぼんやりと見える。

「そうよ。学校帰りに【商店街】に寄ったんだけど、ライダーが居るみたいだか ら来てみたの」

 ライダーが居るか居ないかは洩れる魔力で容易に判る。魔術師にとって英霊で あるライダーの魔力は感知し易い。『聖杯』であったイリヤなら尚更だ。

 イリヤは友達と【商店街】に来たのだが、別れて【公園】に寄ったのである。

「其れってお菓子の材料? ライダー」

「ええ、今日はどら焼きを作ろうと思います」

「んー。――うん。私も手伝う」

「良いですよ。じゃあ――」

 ライダーは志貴を見遣った。志貴はひらひらと手を振った。

「俺はいいよ。寛緩(ゆっくり出来るのを待っ てる」

「判りました。ではイリヤ。よろしくお願いしますね」

 任せといて、とイリヤは云って微笑った。其の際の笑顔はとても柔らかい。銀 色のポニーテールがぴょんと跳ねた。























「うーむ」

 志貴は胡座(あぐらをかいて( あごに掌を添えて唸った。蒼羽織に白単衣に黒袴の和装の装束が其 の仕草に似合っていた。

「どうしたの? 志貴」

 キッチンにいるイリヤは志貴の唸り声が聞こえて振り返った。ポニーテールが くるりと踊った。
 イリヤの隣にはライダーが菓子作りの準備をしている。

「イリヤちゃんとライダーってエプロンが以外と似合うんだね――と思ったんだ 。今まで士郎と桜ちゃんのエプロン姿しか見てなかったからさ」

 イリヤは学園の制服の上に翡翠がよく着ていたエプロンドレスと思われるひら ひらが付いた物を着ている。スカートはエプロンドレスに完全に覆われ、黒ニー ソックスとの間に素足が僅かに覗けている。エプロンドレスには『弟子一号』と 云うロゴがあるのは愛嬌、か。
 ライダーのエプロンはハンマーを持ったきのこのワンポイントが付いた物であ る。

「結構此のエプロン着てるよ。シキはいつも外に居たから見てなかったんだね」

 イリヤはそう云うと其の場でくるりと回った。エプロンドレスがふわりと舞い 、絹糸の如く銀糸がさらりと宙を泳いだ。

「じゃあ出来るのを待っててね」

 イリヤは志貴へずいと指差し、にぱーっと微笑みを浮かべた。

「では生地を作りますよ、イリヤ」

 ライダーが振り返りイリヤを促した。眼鏡がカタと少しずれ、すっとずれを直 した。僅かに口許を弛まし、微笑みを浮かべていた。

エプロン絵 双葉さん

「判ったー♪」

 ハミングが聞こえてきそうな元気の善い返事である。イリヤはライダーに続い て菓子作りに執り掛かった。

 志貴は其の温かな雰囲気を持つ二人を、眼を細めて眺めていた。























 テーブルの上の皿には幾数ものどら焼きが乗っている。どら焼きを中心に志貴 とイリヤとライダーが座った。イリヤとライダーはエプロンを着たままである。

「〜〜っ」

 ライダーは一口分欠けたどら焼きを両手で抱え、眉を顰めている。

「ライダー、そんなに眉を顰めないでも――」

「いえ。【燦泉堂】のどら焼きを完璧に模した筈なのに若干甘すぎました。表面 は僅かに焦がしパン生地は弾力があると云うのに、(あんが甘すぎたんです」

 志貴の言葉を制し、ライダーはどら焼きの出来映えの不満を云った。

「そういうものかな」

「ん〜。美味しい物を作るのに切磋琢磨するのは好い事だし、シロウとサクラも 料理をより美味しく作れる様に研究してるから、ライダーが御菓子作りに熱をあ げているのは判るよ。だけど此は此でとても美味しいから良いんじゃない? 同 じ物が一番って事じゃないんだから」

 イリヤがどら焼きを一口食べてから云った。

「イリヤちゃんの云う通りだよ、ライダー。とても美味しいし、此の甘さはお茶 に合う」

 志貴も其の言葉に続く。

「――そう、ですか」

 ライダーはしぶしぶ頷き、また一口どら焼きを食べた。

「――はい。美味しいので此は此で良いのかもしれませんね」

 そうそう、と志貴は応えて云った。

 ライダーは口許を綻ばして微笑った。

 志貴は其の微笑みに微笑みを返し、茶碗を手に取り熱い茶を飲んだ。餡の甘さ と茶の渋さが互いに味を引き立てて、ライダーとイリヤが作ったどら焼きは本当 に美味しかった。

「ライダー、イリヤちゃん」

「はい?」「ん?」

 ライダーとイリヤが志貴を見た。

「ほんと美味しいよ。ありがと」

 志貴は感謝していなかった事に気付き、礼を述べた。眼を細めて口許を綻ばし た穏やかで柔和な微笑みを浮かべた。

「お粗末様です」「どう致しまして」

 ライダーとイリヤはそう云って微笑った。自分が作った物を食べて貰って、美 味しい、ありがとう、と云われるのは嬉しい。作った甲斐があると云うものだ。

 和やかに茶会は続いていった。







第二章 平穏な日々 終幕









あとがき


其の一

 『血喰仙』やらなんやら新キャラの予感。それもオリジナルと妹。しかも妹は某12姉妹から一人選択。泉逢寺悠さんから世界観を交じらせて貰っていますが、『獅堂家』とは関係がない別人ですので。
 あと、某魔法少女の様に破裂はしませんし、成長もしません。

 一応これが物語の本筋で、本編以外のお話が志貴の患いを癒しましょうってのです。何やら難しい構成に仕立てましたが果たして私に描ききる事は出来るのでしょうか(爆) 頑張ります。


其の二

 またまた双葉さんに挿絵を描いて貰いました。感謝です。ライダーです。エプ ロンです。――キノコです(ぇ
 実はイリヤのエプロン姿かライダーのエプロン姿か、どちらを依頼するか悩ん だんですよ。けれどイリヤは第一章で描いて貰ったのでライダーにしました。イ リヤのエプロン姿は妄想で脳内補完です(笑)

 画廊に琥珀さんと霞守のキャラコメがありますので時間がありましたらどうぞ。

 序盤中盤のライダーと志貴の会話はエプロン姿に喰われてしまいました。まあ ライダーの優しい雰囲気よりもエプロンの方が善いってことなのか。優しさより 萌えか(爆)

 それでは


[第一章] [書庫] [第三章]



アクセス解析 SEO/SEO対策