死せるもの

第八章 姫








 アルクェイドと共に【トゥスクル國】に戻って来た遠野志貴は、ハクオロの仕事場兼書斎である部屋のバルコニーに設置された長椅子に座り、今まで【クンネカムン】に居た時に【トゥスクル】で何が起こったかということを女性から聞いていた。

 陽の光を煌煌(きらきら)と反射する、腰より長い金色の髪。大きな黒碧色の瞳と高い鼻、ほんのりと朱い小振りな唇。ふわりと白い大きな翼を畳み。白い襦袢の上に緑の外衣。同じ色のロングスカート。優しい雰囲気を纏った女性である。
 ハオクロが志貴たちに加わってもらうための代償として提示した事の一つに、魔道関連の知識を持つ人物を紹介する事というものがあった。その人物というのが、彼女、ウルトリィである。

 何が起こったかということを伝えるのは、皇であるハクオロが一番詳しいのだけれど、志貴たちが【クンネカムン】に行っているときに戦があったそうで、その事後処理に忙しくて面会の時間がとれなかった。皇の補佐であるベナウィも詳しいのだけれども、ハクオロ同様忙しくて時間がない。そして【皇邸】に居て時間が余っている人の中で、最も論理的に説明ができるのがウルトリィであったのである。

 彼女によるとハクオロは、大陸の西に位置する奴隷の売買で國を成していた【ナ・トゥンク國】を、其処の奴隷達によって構成されたレジスタンスの叛乱を援助をして滅亡させたそうである。レジスタンスのリーダーであった青年は、【ナ・トゥンク】滅亡後に建國した新國家【カルラゥアツゥレイ】の若き皇となり、【トゥスクル】と同盟を組んだそうである。

「トゥスクルはトゥスクルで問題があったんだね」

「問題と云うよりも、必然だと思います。國を為すのには、やらなければいけないことが多いです。ハクオロ様が國を建てる前、この地は【ケナシコウルペ國】として『インカラ皇』によって、民から税金を搾取され続けていたそうです。頭髪と宴会に湯水のごとく使っていた、とベナウィ様から聞きました。
 【トゥスクル】はまだ建ったばかりです。前皇の圧政から開放された今、住宅・公共施設の復興や市民の仕事の斡旋、東西南北主要都市への人材の派遣や財政の予算案など、としなければいけないことはなくなりません」

 ウルトリィは、扉一枚隔てたハクオロたちが居る部屋の方を顧みた。

「その大方をハクオロがこなしているのか。けれどクーヤは、自分が直接手掛けるのではなく、文官に仕事をふり分けるようにしていたけど」

「ハクオロ様は、人に頼ることが苦手なんです。政治面でも軍事面でも、各国の皇、否大陸中の知識人と比べてさえ、抜きん出ています。故に人一倍優れたことができるので、人に頼らず何でもこなそうとしてしまっているんです」

 志貴は袖の中で腕を組んだ。

「『奴隷皇』なんて通り名もあるけれど、雑務が多過ぎて書斎から出れないのは、自分で蒔いた種だったと云う訳か。完璧超人然としているからな、もっと周りに迷惑を掛ければ良いのに。からかえば良いんやら憐れめば良いんやら。まあお気の毒に、とでも云えば良いのかな」

 けれど君たちは、否だからこそハクオロを支えたいんだね、と志貴は眼を細めて云った。

 ウルトリィは言葉にされなかった意味にほんのりと頬を赤く染めた。しかし取り乱すようなことはなく、深く、そして瞭然(はっきり)首肯(うなず)いた。

「私はハクオロ様を愛しいです。あの方は人を思いやり、優しく、立派な方です。彼に惹かれ、慕い、集まる人はたくさん居ます。
 彼は私を好きだと云ってくれました。私だけを見て欲しいとは云いません。ハクオロ様を必要としている方はたくさん居るんです。ただ、私は彼を側で支えたい」

 ウルトリィは静かに、けれど心を込めて云った。

 恥ずかしがって想いを忍ぶ人はいるが、彼女は想い人を好きと云うことにあまり羞恥を感じないようだ。幼子のように無邪気に好きだと云うわけではなく、惚気ている訳でもないのだけれど、忍ばずに瞭然と云える自信があるのだろう。

 ハクオロには正室候補が七人もいる。アルルゥ、ユズハ、ウルトリィ、カミュ、カルラ、トウカ、國の問題があるが、クーヤもその一人である。正室側室を定めずとも、妻となる予定の者が七人も居るという訳だ。これからまだ増えるかどうかは知らないが、既に志貴の世界では考え難い状況である。
 世界と時代の違いを志貴は感じた。
 志貴にも大切な人はたくさん居る。志貴を想ってくれた人がいる。その中からアルクェイドを選んだ。否、愛した。否否、愛している。三咲町の雑踏で彼女を見掛けてから、ずっと彼女に囚われ、追い駆けてている。
 しかし世界から一人を選んだ遠野志貴だが、ハクオロの状況をも理解できる。大切な人は大切である。絶対に失いたくない人が一人か多数かなどは関係ないのだろう。その人が居なくなったら、胸が焼けるような思いをするのなら、決して手放してはならない。

「信頼が置けて信用できるんだね。
 けどさ、結局ハクオロは何者なんだろうか」

 何がですか、とウルトリィは小首を傾げた。

「【ヤマユラの村】にぽっと現れた、獣耳も尾もない記憶喪失であった青年。【この世界】では俺たちと同じく異端だろう。獣耳も尾もない子供が山村で産まれれば鬼子となってしまうだろうし、俺たちみたいな境遇じゃあないと思う。けれど、君たちから感じられる俺にとっての歪みは、ハクオロが一番大きい。指向性は違うけど、下手をすれば朱い月(アルクェイド)に並ぶかもしれない。
 巫女さん的には、何か解っていないのか」

 彼女はアルクェイドがしているようなコスプレ巫女ではない。術法と云う名称を名付けられた魔導を律する『オンカミヤリュー族』であり、宗教国家【オンカミヤムカイ國】の神職に就く巫である。
 風や水などを操って敵軍に放つ姿を見た志貴は、ヴァチカンの司祭のような者だと思っている。司祭にとって魔術は禁忌であると誰かから聞いたことはあるが、まともな司祭と云うものに会ったことがない為に、戦う宗教者は、皆代行者だと認識していた。

「ハクオロ様は、ハクオロ様です」

「いや、さ。それは初めて会った時に、俺が云った言葉と同じだから。別の解はないのか」

「それが解ったのなら、既にハクオロ様に告げておりますよ」

 それもそうだね――志貴は後ろ髪を掻き毟った。志貴たちが【元の世界】に戻る手段は、まだ見当も付いていなかった。

「ただ、雰囲気が似ている方は居りました。哲学者で私の師であるディー様です」

 ディー、と志貴は復唱した。

「彼は『オンカミヤリュー族』ですから、きちんと翼はありましたけど、何処となく似ていました。母国から、――【オンカミヤムカイ國】から去ってしまいましたけど」

「――居ないのか」

 志貴はかくんと頭を下げた。そして溜息を吐いた。

「居ないんじゃあ仕方ないね。俺は相対しないと其奴がハクオロと同じなのか解らない。
 それにしても八方塞がりだ。アルクェイドはまた遊んでいるけど、【元の世界】に戻る手段は全く解っていない」

 けれど諦めていないのでしょう、とウルトリィは柔らかな声音で云った。
 その言葉に志貴は顔を上げ、彼女を見た。柔和な微笑みを浮かべていた。

「諦めていなければ、ずっと追い続ければ良い。――結果は前を見る者に訪れます」

 暫し志貴は、ウルトリィを凝乎(みつめ)た。それから蒼空を仰ぎ見る。雲一つない透き通った空だ。

「そっか」

 志貴は空からウルトリィへ視軸を戻した。

「そうだね」

 志貴はアルクェイドを追い続けた。城で眠っているお姫さまを起こす手段を探していた。
 アルクェイドは睡眠欲を多く充たすことで吸血衝動を抑えていた。吸血衝動は死徒に架せられた生存の為の欲求であるが、本来血を吸う必要のない初めから吸血鬼であった真祖にとっては、朱い月から架せられた呪い――固有結界――である。それは、愛情や友愛などと云う感情を抱く相手の血であれば尚、欲求が強まる。相手を想う気持ちが、吸血衝動を強くするのだ。

 しかしその行為をされた人間は、其奴であって其奴でなくなる。真祖に血を吸われた人間は、魂まで汚染される。
 魂と云うのは、人間と云う動物の、種としてではなく、個としての主張みたいなものだ。要するに思い出のようなものである。記憶といっても良い。
 記憶すること――つまり時間の経過を経験的に認識できる特性こそが、動物と人間を分かつ唯一の機能。ならば魂とはそのこと自体なのだろう。
 魂が汚染されてしまう。記憶を汚染されてしまう。それは人間として致命的なことだ。死徒となって人の血を吸う化け物になる。其処には社会がない。人間が人間として成立する為のシステムから外れてしまう。

 吸血行為は、殺人と同義なのである。しかもそれは、想う相手である程、欲求が強まる。だからアルクェイドは【千年城】で眠りに就いた。

 だがそれでは、志貴はもうアルクェイドと会えなくなると云うことである。それを認められなかった。厭だった。だから志貴は世界中を駆け回った。

 志貴は今、アルクェイドと共に居る。紆余曲折あって、『異世界』などという突拍子もない処に来てしまったが、二人は別れず此処に居る。
 諦めず、ずっと追い続けた結果である。

「じゃあ諦めずに探してみるか」

 志貴は誓いを改めてした。























 志貴が三人の少女を伴って皇城付近の森に足を踏み入れたのは、バルコニーでウルトリィと会話したすぐ後であった。
 ウルトリィから【トゥスクル】を留守にしていた間のことを聞いた後は暇であったから、書斎で書簡に埋もれて雑務をこなすハクオロの手伝いでも何かしようか、と志貴は思っていた。しかし、三人の少女たちが書斎に入って来て事態は変わった。彼女たちはアルクェイドを探していると云ったのだ。【クンネカムン】から帰って来たのだから一緒に遊ぼうと思っていたのだが、部屋には居らず、いつも昼寝していた場所にも居ない、と。

 書斎に入って来た少女たちは、ハクオロの義妹であるアルルゥとウルトリィの妹であるカミュ、歩兵衆隊長オボロの妹であるユズハであった。アルクェイドが毎日遊ぶ程、仲良くなった少女たちである。



 雨が降ったわけでもないのに、森の中の草は濡れていた。霜でも降ったのかもしれない。地面はぐにゃぐにゃとしていた。
 志貴の横には、少女たちを乗せた獅子よりも大きな獣であるムックルが、志貴の歩調に合わして歩いている。少女たちが濡れることはない。お疲れ様である。

 木の葉の影が揺れている。濃い影薄い影、遠い影近い影。大きい影小さい影。たくさんの影が、全部別々の運動をしている。木漏れ日は複雑な模様を地面に投げかけている。その光に照らされた少女たちは、アルクェイドはどうしたのだろうかと話し合っている。

 志貴も首を傾げるが、居ない理由は解らない。しかし、ただの気紛れだろうと思う。

 彼女たちをアルクェイドの許へ案内することになった志貴だが、人探しの魔術など、その手の術は習得していないから、個人を探し当てることなど出来ない。気配を感じることは出来るが、魔力が多い者や魔に近い者とそうでない者の二種類しか分類出来ぬ。気配とは、霊感だとか、第六感で感じるものでは決してないからだ。

 それは五感で、普通に感じ取れるものなのだ。ただ、見えたとか聞こえたとか、そうした判り易いものではないのである。総合的と云う言葉が当て嵌るのだろうか。
 気配と云うのは、眼や耳や鼻や肌や、そうした外界に接する色色な部分が感じ取ったモノを、押し並べて、合わせ比べて――頭で考える訳ではないのだけれど、総合的に判断されるものなのである。
 だから瞭然(はっきり)と聞こえる訳でも見える訳でもないのに――。
 何となく感じる。

 そういうモノなのである。戦場で感じる気配というのも、ただただそれだけでしかない。しかし。
 アルクェイドは違う。彼女だけは何処に、否どの方向に居るかは、どれだけ離れていても感じられる。彼女の死徒にも使徒にもなっていないのだけれど、それだけは解るのだ。絶対に探し当てることが出来る。アルクェイドを求めて駆け回った過去が、それを可能としているのか。愛の力、ではないと思う。



 ふと志貴は、横を振り向く。ムックルの上にアルルゥ、ユズハ、カミュと並んで乗っている。

 三人の少女。詳しく分ければ、二人の少女と一人の幼女。この中の内、義理の娘である幼女を除く、二人の少女がハクオロの細君になるとベナウィから聞いた。
 アルクェイドの友達。少女たちをそれぞれ見てみる。

 まずは、なかなか懐いてもらえぬアルルゥ。
 癖のある黒髪。肩の前に垂らした髪を髪飾りで二つに束ねている。くりくりとした丸い黒茶瞳。小さな鼻。小さな唇。先が黒い白の獣耳。ふさふさした大きな尻尾。

 次は、(はかな)げで病弱なユズハ。
 薄茶色の単衣と白い外衣(ケープ)。肌膚の色が薄く、白い。しなやかな黒髪を腰まで垂らす。盲目の少女。

 そして、とても元気なカミュ。
 無邪気さが見える濃碧の、大きな丸い瞳。高い鼻。薄桃色の唇。太陽に反射して、煌煌(きらきら)と輝く、肩先までの銀髪。まだ幼さが残る貌と、不釣り合いなまでに豊かな胸。漆黒の大きな翼。服装は、礼服(ドレス)であるのにも拘わらず、動き安さを求めた品である。

 七人の細君の内、この少女二名、ユズハ、カミュはまだ元服を迎えたばかりである。年の頃は14、5。

 ――ハクオロが『好色皇』と呼ばれるのも仕方ないよな。

 けれども志貴の世界でも時代を遡れれば、少女が12で婚儀を迎えた例もあるのだから、年は関係ないのかも知れぬ。

 七人の細君。躰は持つのだろうかと無粋なことを志貴は考えてしまった。自分ならばどうだろう。

 ――たぶん、平気、か。

 毎晩共に寝る、真祖であるアルクェイドに、志貴みたいな人を絶倫と云うんだろうねと云われたからだ。よく解らないが、夜に強いのだろう。

 アルルゥが志貴の視線に気付いたようで、此方を向いた。目が合う。じぃと睨まれる。
 それに気付いたカミュが、面白そうに二人を観る。

 ――何、かな。

 未だに志貴は、アルルゥに懐かれていない。小動物のように警戒されている。
 アルルゥはよく人見知りをする、と姉のエルルゥから聞いたが、それだけではないと志貴は思う。アルルゥと仲良くなる条件と云われている、蜂の巣の土塊もどきを一緒に食すこともアルクェイドと共にしたのだけれど、効果はない。恥ずかしがっている素振りではないのだ。どちらかと云うと、敵意や警戒の視線である。

 アルルゥはアルクェイドと仲良くなったのに、志貴とはならぬ。会って話しかけようとしても、すぐに逃げられてしまう。志貴は何かしてしまったかと悩むが、特に思い付くことはない。
 しかし、アルルゥは『森の母(ヤーナマゥナ)』と云う動物と心を通わして獣と仲良くなり、従える事も出来る娘であるから――ガクガク動物ランドを殺したことを感じ取ったのだろうか。666もの獣を一度に殺したのが悪かったのか。それに、殺した獣の素を傷を癒すのに使ったのがいけないのか。否、それは有り得ぬ。アルルゥが知る機会はないだろう。

 じぃと志貴を凝乎(みつめ)ていたアルルゥは、ぱっと視線を外すと、はふっと顔をムックルの背に埋めた。
 志貴は肩を落とした。やはり嫌われている。いつもならば逃げられてしまうが、今回は志貴が案内人となっている為に、離れることが出来ないのだろう。義妹の都古も、志貴に対して無口で睨み、終いにはタックルする程嫌われているようだったから、幼女に避けられるのは仕方がないのかと開き直ってみたりした。

「志貴さん、本当に何もしていないんですよね」

 カミュは小首を傾げ、志貴を見て云った。

「ああ、見当も付かない。カミュちゃんやユズハちゃんは何か聞いてない?」

「ただ、嫌い、としか」

 ユズハが頬に片手を添えて答えた。

「アルちゃん、志貴さんの何処がイヤなの?」

 カミュがアルルゥの背中に疑問を投げ掛けた。今までに尋ねたことのある質問だが、その度に、嫌いとしか返答されなかった。
 暫く、沈黙が続く。

「――眼」

 アルルゥはムックルの背に顔を埋めたまま小さな声で答えた。
 志貴は和服の袖の中で腕を組んだ。心当たりがある。しかし、魔眼は不安定であるから、眼鏡を人の前で外したことなんてない。

「イヤらしい?」

 ユズハは小首を傾げて云った。

「イヤらしい眼はしていないと思うよ」

 志貴はユズハとカミュの言葉にかくんと肩を落とした。何故イヤらしいって言葉が出たのだろうか。

「怖い眼」

 アルルゥのその言葉に志貴は確信した。直死の魔眼。アルルゥがその実態を理解しているかどうかは判らないけれど、忌まわしいモノだと感じているのだろう。

 怖い恐ろしいと云う感情は自己の存在の保持にとって好ましくないものに遭遇したか、遭遇することが予想される場合に芽生える感情である。恐怖に限らず、一様に不快感と云うものは、存在を脅かすような対象を遠ざけよう、そうした状況を回避しようと云う本能に由来するのである。
 それは遍く、自己の保存が前提となっている。これは即ち生物が種を保存するために固体を維持する必要があったからこそ、必然的に発生した機能と云ってよいだろう。

 志貴はアルルゥにとって、恐怖を覚えるのに足るモノという訳だ。

「ごうかんま?」

「わわっ。ユズっち何処でそんな言葉覚えたの!?」

「にい様が教えてくれました。ごうかんまというケダモノが現れたとしても、白馬に乗ったハクオロさまが助けてくれます、と――ぽっ」

 ユズハは頬を赤く染めた。
 志貴はアルルゥの言葉で正した姿勢から、かくんと再び肩を落とした。

 ――何故話を其方に持って行くかな。

 慥かに強姦魔は恐怖を覚える対象だろう。けれども、強姦魔と思われるのは心外である。
 それ以前に、ユズハはきちんと強姦魔の意味を知っているかどうかさえ曖昧だ。敢えて病弱な少女に教える言葉ではない。いけない奴悪い奴ぐらいの認識でしかないのだろう。兄であるオボロが子細に強姦魔のことを教える筈はない。

 カミュは今、遠回しな表現でその言葉は使ってはいけないと、ユズハに云い聞かせている。ごうかんまっ何、と尋ねてきたアルルゥへの対応も困っているようだ。

 志貴はカミュに助けを求めるような視線を投げ掛けられたが、身を裂かれる思いで目を逸らした。志貴がどうにか出来る状況ではない。ご愁傷様である。

 カミュが強姦魔のことを知っていたのは、耳年増だったのだろう。
 アルクェイドの場所まで後少しである。アルルゥとユズハがアルクェイドに尋ねる前に、カミュには頑張って解決してもらいたい。アルクェイドは素直だから、聞かれたら子細に説明してしまう。

 ――頑張れ、カミュちゃん。

 志貴は心からそう思った。























 空を覆い隠す、木漏れ日が零れる生い茂る木々を抜け、さあ、と蒼い空が開けた。今までは空を仰いでも葉葉が重なっていて、その隙間からしか青を覗けなかったが、すう、と葉葉を掻き分けて広がるように視界が開けたのである。

 志貴は青い空を仰ぎ見た。雲一つない青い空。天の底が抜けたような空は、眺めてみてとても清々しい気分になれる。先程までカミュが、アルルゥとユズハに『ごうかんま』とは口にしてはいけない言葉。乙女として口にしたらはしたない言葉であると教えていたことを、すっかり忘れさせてくれると、希望しても良さそうような空である。まだ胃が痛むけど。

 アルルゥとユズハは、カミュの話している内容をよく分かっていないように志貴には思えた。が、カミュの必死な様子を不思議に思いながらも了解したようだ。そもそも、アルルゥは10や其処らの年の少女だ。そんな幼女に教える話ではない。ユズハも、一応子を産める躰になっていると雖も、まだまだ幼い。それに二人は、片や皇女、片や正室候補。二人の周囲の者たちが、強姦魔に襲われるようなことはさせないだろう。そしてハクオロも、悠然としているように見えて、なかなかの激情家だ。冷酷とも云える。そのような者の縁者を襲うような莫迦な奴はいないだろう。だから、そのような知識を教えるのは不的確なのであるし、必要ないのである。

 志貴が空からゆっくりと視軸を下げると、少し離れた、この若干開けた広場の中央に大きな樹が立っていた。陽の光を浴びた青々とした葉葉は、広場を覆うように広がっている。並大抵の大きさではない。『この世界』に着いて世話になった【ヤマユラの村】の近くの山の(ふもとにある森には、御神木と云うものがあったけれど、そういう樹がこの森林に生えているとは聞いたことがなかった。が、立派な樹である。

 青々とした葉葉から更に下へ視軸を下げていけば、凹凸とした樹皮に覆われた幹があり、その下には、色の白い細面(ほそおもての少女が、撓垂(しなだれれるように、横座りに寝ていた。
 結い上げた金色の髪は綺羅綺羅と陽の光を反射し、うっすらと赤く染まったうなじと寝崩れた衣類からは白い肩と太股が覗けていてとても艶やかだ。

アルク

 アルクェイドが樹に凭れて寝ている。ふにゃ、と弛んだ口許が幸せそうで、見る者をほんわりと暖かな気分にさせてくれるような寝顔である。
 艶やかさかほのぼのか、見る者の主体によってとても印象が異なりそうである。アルクェイドはたしかに艶やかであるけれど、辺りに明るさを振り撒くほのぼのとした雰囲気をも纏っている。それの度が過ぎればアーパーと思われてしまうが、寝ているだけならば、子猫が眠っているのを眺めているような和みを与えてくれるのである。

「寝てるな」

「寝てるね」

「寝てる」

「寝ているのですか?」

 志貴とカミュ、アルルゥはアルクェイドを囲んで腰を下ろした。目の不自由なユズハは、ムックルに乗ったまま小首を傾げた。

 アルルゥが膝立ちでアルクェイドの方に寄って頬をつついたりしたが、全く起きる気配はない。両手でむにー、と頬を引っ張ったが、矢張り起きない。シエルがしたら、アルクェイドは暫くして起き、二人だけで喧喧諤諤のような騒ぎとなってしまう行為である。が、アルルゥではそうならないらしい。それからアルルゥは、何を思ったのかアルクェイドにくう、と抱き付いて眼を瞑ってしまった。

「アルちゃん寝ちゃうの? ん〜〜、ここでお昼寝もいいかもね」

 カミュは小首を傾げてから、人差し指を口許に当て、こくんと頷いた。
 そして黒い翼をぱたぱたとさせて浮かび、ムックルの上に乗っているユズハを抱きかかえた。

 ありがとうございます、とユズハは云った。カミュのしようとしていることを既に把握しているのだろう。眼が見えないことが、人の想いを想像するのを心がけさせ、それはかなり 正確に把握できるようになったのかな、と志貴は思った。

 カミュは、ユズハをアルクェイドの左脇に腰掛けさせ、彼女はその隣に座った。
 皆は樹に凭り掛かり、折り重なるように横座りに寝入った。まだ寝ていないだろうが、このぽかぽかとした陽気だ。暫くしたら本当に寝てしまうだろう。



   志貴は苦笑した。アルクェイドがいない、と探しに来ていたはずなのだが、無事見つかったら、どうして此処に居るのか尋ねもしない。アルクェイドが起きていたらそういう話題があがったかもしれないけれど、わざわざ起こすことはしないみたいだ。アルルゥにしてみれば、アルクェイドに何も起きていなく、その上幸せそうに昼寝しているものだから、無粋なことはせずに同じ行動を選択したのだろう。志貴とアルクェイドはクンネカムンに行っていたから、積もる話しもあっただろうに、そういうものは後回しにするようだ。

 志貴はアルクェイドの周囲で空いている右脇に腰を下ろして樹に凭れ掛かった。大きな樹の下は木漏れ日が零れて、葉葉が風に吹かれて揺れるたびに明かりがくるくると踊っている。アルクェイドが此処を昼寝先に選んだ理由が解った気がした。此処は、心地良い。
 トゥスクルの情勢についての話は退屈なものだろうからと、アルクェイドは志貴に付いていかなかった。しかし外に遊びに行っていたのはどうしてだろうか。遊びに行くことに疑問はない。アルクェイドはネコのような習性を持っているようだから、気まま気楽に行動しているのだろう。しかし。
 昨日遅くにクンネカムンから帰ってきて、アルルゥとユズハ、カミュと久しぶりに会えることになったというのに、アルクェイドは挨拶もせずに此処で昼寝をしていた。普段のアルクェイドだったら、三人に混ざって行動したはずである。何か考えることでもあったのだろうか。
 志貴は思う。
 もしかしたら戦場で塵殺した後に、彼女たちに会うことを憚ったのかもしれない。しかし彼女たちの内、アルルゥとカミュは戦場に立って起つ戦士である。それぞれケモノを、術法を行使して人を殺したことがある。アルクェイドは人殺しだが、二人も人殺しなのだ。けれども彼女たちは、人間を殺すということを、戦争を行うということをハクオロによって教えられている。しかしアルクェイドには、彼女の理論がある。人間が築いた社会性道徳性とは別系統の、真祖の王族、アルクェイド・ブリュンスタッドとしての理論だ。志貴が彼女を殺した後でも、その理論は瓦解しなかった。けれどアルクェイドは、志貴と一緒に居ることによって、少し常人とはズレているが、人間の理論を理解するようにしていった。自分で考え、自分を構築しているのである。今回の件も、何か考えていたのではないだろうか。
 しかし。
 志貴が幾ら考えたとしても、彼女が何を考え、何を構築したのかは完全には解らない。互いが居ればそれで良いという考えをも持っているが、互いを完全に理解はしていない。互いで完結しているけれど、完成はしていないのだ。
 人は、自分自身でさえ完全に把握できない生き物である。だから、他者を完全に理解することなど不可能だ。シオンの思考であれば、人の精神構造を追跡(トレースすることはできる。が、その幾つも思考したパターンのうちで、確率によってしか最善を判別できない。完全ではない。完璧に唯一のみを導き出すことは無理なのである。

   けれども志貴は、アルクェイドを理解しようとしている。完全は無理でも、何を考えているのだろうかと思考している。それは志貴だけではななく、アルクェイドも同じである。
 互いが互いを理解しようと努めれば、完全には届かなくとも、最善には至る。アルクェイドはそれを、この志貴(せかいだけではなく、他の人たち(せかいも理解しようとしているのだ。
 それは善いことである。アルクェイドが視界を広げて社会を見ることは、志貴にとっても好ましい。知ることによって、彼女はますます良い女となっていく。それは真祖として既定されていた存在意義ではなく、アルクェイドを成長させていくことなのだ。



 志貴は木漏れ日からアルクェイドへと視軸を移した。長い睫に縁取られた、朱の瞳は閉じている。ふわりと柔らかであろう淡雪の如く白い肌。紅を注してもいないのに、紅く染まった艶やかな朱唇。
 妙に気恥ずかしくなって顔を逸らした。そうしたらアルクェイドの躰が、まるで狙っていたかのように志貴の方に凭れ掛かってきた。肩に触れるアルクェイドの感触。驚きそうになったけれど、志貴は苦笑するだけにとどめ、自分も寝ることにした。

 青い空と大きな樹の下で、志貴はアルクェイドの存在を感じながら、微睡(まどろみに身を委ねた。







第八章 姫 終幕









あとがき


其の一

 ハクオロが何者かは『うたわれるもの』をしたことがある人は知っているので、読者の予測を覆すサプライズにはならない話となってしまう人が多数。だからそこに重点を置いていないです。別の点に重点を。

 吸血衝動の解決は書けない。書いてはいけない気がする。なのでその問題は、各自脳内補完で解決して下さい(苦笑)


其の二

 志貴は、ユズハが云ったことを否定しきれないだろうな。鬼畜だし、ろりぺどだし。

 アルルゥは死か変態かどちらに恐怖を感じたのでしょうかね。子細は秘密です。

其の三

 八章は幕間的なお話でした。次回から話が動いて終わりへと。大きなエピソードを場面に分けて書いていきます。『朱眼鮮血』みたいに、最終章だけで前章までの容量に迫るということがないようにしたいのですが、膨らめば短いプロットでも際限がありませんからね(汗)

 情景描写と心情描写をじっくり書いていると、話が前に進みません。回想風にすれば良いのですが、この場面に相応しくありませんでしたから、膨らみ膨らみ文章が長く。この章のプロットのこの場面は、皆で樹の下で一緒に寝るのと志貴とアルクェイドについて、としか書いていませんでした。まあ、アルクェイドの描写には手を抜けませんから、別に良いか。

 其の三はアルクェイドはずっと寝ていただけなのに、アルクェイドのお話でした。アルクはいるだけで華があるという訳になるのかな。

それでは



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