死せるもの

第五章 陽の光








 緑に浮かぶ白朱の色彩。巫女服が、森の中の葉が茂る太い木の枝に寄り(かかっている。自然の中に浮かぶ異色。しかし、白朱を携える其の女性の雰囲気は、此の空間から逸脱せずに溶け込む。否。自然の調べが奏でる交響曲の中心となり、指揮者であり、奏者であり、一人だけの聴者である。

 巫女服の女性、アルクェイドは―――寝ていた。其れはもう、突っ込むべきじゃないかってぐらい寝ていた。子猫の様に丸くなり、口許は締まりなく弛み、涎が垂れている。何も心配ありません。私は幸せです。って感じに寝ている。



 戦後は【ヤマユラの村】に遊びに行き、ソポクと話したり、【カカエラユラの森】を引っ掻き回したりした。

 皇城に戻って来たら、ハクオロの政策の下に【クッチャ・ケッチャ國】の捕虜は解放されていた。
 しかし、クッチャ・ケッチャ皇オリカカンは死んだらしい。記憶修正後の日に、何者かに殺されたと云う事である。詳しい事は解らない。誰が殺したのか。否。記憶改竄をした者の手によって殺されたと推測されている。だが、其の者が何者かは誰にも解らない。

 ハクオロは【クッチャ・ケッチャ國】の領地領民を【トゥスクル國】に取り込んだ。戦の勝者の結果だろう。戦後不安定になっている國の安定の為に、ハクオロは(ただ今忙殺されている。捕虜の待遇は優良にし、其の後無条件解放をしたと聞く。
 しかし。
 何故か納得出来ない女剣士が一人居た。志貴と死合いをした剣士、トウカである。義に反した自分の行いを悔やみ、相応の罪を覚悟していたのだが、無条件解放と云う処置に納得出来なかったらしい。

 ハクオロの眼の前で切腹か(かわや――トイレ――掃除でも良いからさせてくれと云う無茶な願いを云い、ハクオロは彼女を【トゥスクル國】の兵として雇い入れた。腕が良いので、其れなりの地位に添えたのである。

 ――まあ、如何なろうと志貴とアルクェイドには関係がないのだが。



 アルクェイドが寝ている場所に一人の少女が来た。戦で治療に専念した薬師エルルゥである。アルクェイドには用が無いのか、木陰に腰を下ろした。



 二人は偶然場所が重なったと云う訳ではない。此の場は、木木の隙間に小動物が(く現れ、新緑豊かな蒼い葉に覆われ、木漏れ日が零れる。そして、地面に座り易い木が倒れ、丈の短い草が芝生の様に生えている。癒され、安らぎ、憩いの場所なのだ。
 だから、二人が大きな森の一カ所に、待ち合わせをせずに偶然居合わせると云う事もあるのである。



 エルルゥはアルクェイドが枝で寝ている大木に寄り凭った。膝を抱えて、子供が閉じ籠もる様に(かおを伏せた。



 エルルゥは戦とあの娘の事を悩んでいた。

 一人、また一人と命を刈り取られてゆく戦地。思い人のハクオロは其の中心に居て、身を削り乍ら戦っていたのだ。自分では背中を護って共に戦う事は出来ない。安全な場所に居て、傷付いた人たちを癒すのみ。勿論大切な事である。しかし救えない人も大勢居た――。

 痛い、痛いよ、足が痛いよ、と既に斬られて無くなっている足を押さえる様に泣いている兵士。
 眼の前で息を引き取る戦士。
 死して死臭を辺りに撒く戦死。

 自分が何故此処に居るかが解らなくなった。否。治療をするのが義務だとは解る。しかし人を救えなかった時、無力だと思った。きっとハクオロに打ち明ければ、そんな事はないと、エルルゥは必要だと云ってくれる。
 だけど。
 戦えない私は、人を救えなかったたらエルルゥは何故戦場に居るのだろう。ハクオロと共に居たい。だけど、邪魔はしたくない。矛盾。想いと思いが交錯する。人が死ぬって、如何云う事だろうか、ウルトリィみたいに方術で、気を使って等と云う不可思議な治療法は使えないのか。少しでも、役に立ちたい。
 戦の後の夜に、私の前に現れた人たちに許して欲しい。私の力不足を許して欲しい。



 カサカサ、と音がした。エルルゥは伏せていた貌を真上に上げた。其処には何故かアルクェイドが居て、手を振っている。

 エルルゥが気付いたと判ったアルクェイドは、ふわりと枝から舞い降りた。緩やかに和やかに清らかに、巫女服を(なびかせて舞い降りた。

「な、何していたんですか?」

 暗く悩んでいたエルルゥは、突然現れたアルクェイドに驚いて、眼を見開いた。

「ん〜。昼寝」

 アルクェイドは云い乍ら、エルルゥの隣に腰を下ろした。

「昼寝――ですか?」

「うん。志貴と一緒に寝ていたら私も習慣になっちゃったみたい」

 アルクェイドは柔らかく微笑んで、ふぅあ、と小さく口を開けて欠伸をした。



 吸血鬼が昼に活動しないのは当然の事なのだが、実際は眠る必要がない真祖にとって、気分の問題なのだろう。



「アルクェイドさん」

「ん?」

「人が死ぬって、如何云う事なんでしょうね」

 エルルゥは再び貌を膝に伏せた。

「死?」

「はい。ウルトリィ様は方術等で傷を治せるじゃないですか。薬師として私には、人を生き返す。気を、息吹を、再び与える事は出来ませんか?」

 貌を伏せたまま(いた。



 戻る為に魔導関係の識を蒐集(しゅうしゅうしているアルクェイドならば、エルルゥが知らない事を知っていると思ったのだ。――死とは何か、(とても難しい題材だと思う。



「まず無理ね」

 エルルゥは貌を上げてアルクェイドへ向けた。

「矢張り、そうですか」

「長くなるけど良い?」

「はい」

「人が死ぬと云うのは、一個の生物が終わると云う事に過ぎないの。人を人として繋ぎ止めている(たが)の様なモノが外れる事が死よ。つまり多くの部分を、全体として一つのものとして見せかけている機能が停止すると云う事でしかないわ。部分部分はすぐに、一度に死ぬ訳ではないわ。脳が死んでも躰は新陳代謝を緩やかに続けている。爪も髪の毛も少しは伸びる。新しく生まれる細胞はなくても、全部が活動を止める訳ではないの。命令系統が止まるから動かなくなるけど、刺激を与えれば筋肉は反応する。呼吸は止まっても臓腑(はらわたは化学反応を続けている。心臓が止まれば血液は循環しなくなる。だけど、今度は凝固を始める。躯は褸褸(るる変化しているの。気と云う実体のないモノを生命力と置き換えるなら――」

 死体は漸くは生きているとアルクェイドは云った。

「死体は――生きているのですか」

 兵士の死体は。
 戦士の死体は。
 あの娘の死は。
 生きていたのか。あの時。

「勿論人としては死んでいるわ。屍は人間じゃなく人間の形をした物よ。だから、屍は生きて居ないし、其れでも生きて居たら。もう――人間じゃない」

「人じゃ、ない――」



 夜に私の前に現れた兵死は、人じゃないのか。生きていない。ならば私の前に現れたあの人たちは、私が創った幻か。――私の痕。助けられたかった人たち。
 そして。
 生き返ったあの娘は、人じゃなくなったのか。否。そんな事は関係ない。助けられなかった私自身が許せないのだろう。私の痕。私の罪。だから私は――。



「私も人じゃないけどね。首を斬られても復元するから」

「ぇえ!!」

 エルルゥは初めて知った事実に眼を見開いた。種が違うとは聞いていたが、死なないなんて。首が胴体と離れたら普通は死ぬだろう。

 其れでも、アルクェイドは太陽の様に微笑んでいた。柔らかで、此方(こちら)が和む笑みである。自分が特殊――『異端』である事なんて、何も問題視していないのだろう。
 強いな、とエルルゥは思った。

「私は私だから、そんなに驚かなくても良いじゃない」

 アルクェイドは、頬を膨らませて口先を尖らした。

「えっ、あっ、ごめんなさい」

 エルルゥが慌てて謝ると、アルクェイドはクスクスと笑った。

「あぅっ!?えっ、え?」

 笑ったり、怒ったり、笑ったり、とくるくる変わるアルクェイドの表情に、エルルゥは困惑した。

「面白いわね、エルルゥは。単純って云われない?」

「はぅ〜」

 エルルゥは泣きたくなった。単純――カルラや皆に(く云われる台詞(せりふだ。

「私も志貴に云われるのよね。む〜。能く解らないんだけど、私が単純だったら志貴は愚鈍よ」

「そうなんですか?」

 また変わるアルクェイドの表情に、エルルゥは微笑ってしまった。

「そうなの。聞いてよエルルゥ――」



 アルクェイドとエルルゥは他愛もない会話を続けていた。
 志貴の不満だったり良い処だったり、ハクオロの不満だったり良い処だったり、と戦や死とは何も関係ない、年頃の少女の会話である。

 エルルゥはアルクェイドと話し(なが)ら、落ち込んでいた気持ちが無くなっているのに気が付いた。此の太陽の様な微笑みを浮かべる、白朱の、少女と女性の間を行き交うアルクェイドと一緒に居ると、悩んでいるのが莫迦らしくなった。

 痕が膿まずに瘡蓋(かさぶたとなって剥がれてゆく。完全に剥がれる訳じゃないけれど、いつものエルルゥに戻れる気がする。戦は好きじゃないけれど、やらなければやられるから、痕が増えてゆくと思う。
 だけど。
 私にはハクオロが居て、アルルゥが居て、皆が居る。アルクェイドも支えてくれる。だから皆で立って、微笑っていられる私でいたい。



 アルクェイドとエルルゥは陽が暮れるまで、癒され、安らぎ、憩いの場所で微笑っていた。此の森の中で。























 陽が出ている時に薫る、草木の健やかな匂いではない。
 月が出ている時に薫る、静けさと夜気の匂いが辺りを包んでいる。

 夜空に浮かぶ、月から降り注ぐ明かりに照らされた回廊で蒼黒と白朱が揺れる。



 張り巡された木目美しい床。左手にも波紋の様な木目美しい壁。日中に明かりを取り入れる為に造られた明かり戸の奥は、夜の闇を吸い、外よりも暗い。先が見えない。回廊の壁に闇が幾つも穿たれている。右手には、人が落ちぬ様に手摺が端から端まで連なっている。
 其の手摺が皇城と外の境界線。
 内側と外側の境界線。
 此岸と彼岸の境界線。
 人の闇と自然の闇の境界線。
 しかし。
 境界の先から降り注ぐ月明かりは(とても優しい。淡い光が自然の闇を包み、人の闇をも照らす。手摺の奥には海が広がっている。木木が連なる森の海。夜の刻、森は異界となる。獣が息を潜め、木木は視界を塞ぎ、闇が蠢く。だが。
 月は優しく包み込む。そして、異界の闇を抱き締める月は人の闇をも包み込む。降り注ぐ明かりは、蒼黒と白朱を闇夜に浮かび上げる。


 皇城の三階の回廊で、和やかな風に蒼羽織は(なびき、白襦袢が煽られる。

「なんか昼夜が逆転している気がするな」

 蒼黒、志貴は歩き(ながら優しい月を観ている。



 見張り台で月を観て、帰って来た処である。



「そう?私は普通だけど」

 白朱、アルクェイドは白襦袢の袖口を握り、軽く腕を広げてちょん、と跳び、志貴の前でくるりと振り返ると志貴の方を向いた。

「当たり前だろ。お前は吸血鬼なんだから」

 志貴は眉を顰めて立ち止まった。

「む〜。昼夜が逆様(はんたいなのは志貴の所為なんだよ」

 アルクェイドは頬を膨らませて志貴を上目遣いで睨む。

 志貴から誘われて夜をふらつくのに、余りな云われ様だ。

「月が出ている日は眺めていたいじゃんか」

 志貴はばつが悪そうに視軸を横にずらした。



 実際志貴は、情事の後にアルクェイドを連れ立つという事もしているので、強くは云えないのである。



「うん。私も月が好き。志貴と一緒だからもっと好きよ。志貴もそうでしょう?」

 アルクェイドは眼を細めて柔らかく微笑んだ。

「……まあ、ね」

 志貴は頬を掻いた。

「む〜。曖昧だよ。志貴は私と一緒に観るのは厭なの?」

 アルクェイドは志貴の言葉に口先を尖らした。

「そんな訳ないよ」

「じゃあ瞭然(はっきり云って」

「はいはい。お姫様と一緒に観れて私も大変嬉しいです」

 志貴は照れ隠しで巫山戯(ふざけ乍ら云った。

「うん♪」

 アルクェイドの表情が、にぱー、と柔和な微笑みに変わる。



 嫌味の言葉が通じない奴だな、と志貴は溜息を吐いた。こんなやり取りをしているが、アルクェイドと一緒に居ると月の見方が変わるのだ。一人で観る月は良いが、二人で観る月の方が良いのである。



「あれ?エルルゥとアルルゥちゃんだ」

 志貴は視界の端に二人を捉えた。

 エルルゥにはちゃん付けは止めて下さいと頼まれ、エルルゥと呼んでいる。呼び慣れていないそうだ。アルルゥは――未だに懐かれていない。アルクェイドには懐いているのだけど、志貴が居ると直ぐに誰かの後ろに隠れてしまう。近付くと――逃げられてしまう。人見知りする娘なのだ。



「本当だ」

 こんな遅い時間に何をしているのだろうか。エルルゥは階下を歩き回っている。アルルゥは其の後を眼を擦り乍ら付いて行く。

 志貴たちは回廊を進み、階段を降りた。
 エルルゥとアルルゥの後ろ姿が見える。

「如何したの?」

「アルクェイドさん志貴さん」

 アルクェイドの声にエルルゥが振り返った。大きな瞳が濡れている。
 アルルゥは志貴のことを視界に入れたら、エルルゥの後ろに隠れてしまった。

 こんな時間に、と志貴が云った。



 しかし、人のことを云えないじゃないか。志貴は毎夜、そこはかとなく闇夜に息づいている。月を観たり、湖を観たり、森を歩き、草むらで横になる。エルルゥが起きているのは志貴と違って理由があるのだろう。



「ハクオロさんが居ないんです」

 エルルゥは貌を伏せ、腰にしがみ付くアルルゥの髪を梳いた。エルルゥの濡れ鴉の様な艶ある黒髪が、貌を伏せた時さらりと揺れる。

「ハクオロ?」

 志貴は袖口に腕を入れて両腕を組み、首を傾げた。

「――はい。アルルゥが禁裏に行くのを見かけたので、付いて行ったらハクオロさんが居なかったんです」

 アルルゥはエルルゥに抱き付いて伏せている貌を上げ、視軸をアルクェイドに移した。

「お父さん、居ない」

 エルルゥを抱き締めるアルルゥの力が強まった。



 アルルゥの義親であるハクオロは、近頃飯も食えぬと云う様な忙しさの為に、アルルゥは構って貰う機会が減っていた。だから。
 寝る時ぐらいは共に居たいと云う子供ながらの理由で、禁裏――ハクオロの寝床――へ訪れたのであった。



「皆の処にも居ないので、心配になって」

 端的にエルルゥは説明する。
 ハクオロが皇室側室候補の下へ夜這いしに行ったのならば、私と云う者がありながら、と云う乙女心によって、心情的に我慢なら無い。だが。
 皇城の何処にも居ないのだ。尋ね廻って、カルラとウルトリィを尋ねた時は何か知っているそうな素振りだったが、何も教えてくれなかった。心配は積もるばかりである。

「ハクオロなら時折外に出て行ってたよ」

「本当ですか!?」

 エルルゥは瞳に明かりを灯して志貴を見た。

「ああ。俺は見張り台から時折月を観ているから気付いたんだ」

「そう――ですか」

 エルルゥは再び貌を伏せた。



 時折とは、ハクオロが出かけたのは今宵だけでは無いと云う事である。ハクオロはかつてエルルゥの祖母と夜中に出かけた事があった。その時はユズハと会う為であったのだ。今回は如何なのだろう。女性に会う為ならば、エルルゥは胸が苦しくなる。政の為ならば、こんな刻にも働くハクオロを心配する。

 どたらにしろ、エルルゥは胸が圧迫されそうになる。何をしているのだろうか。無理をしていないだろうか。



「エルルゥ」

 闇夜に浮かぶ白朱。金色の髪を携えるアルクェイドの声が、エルルゥの胸にすっと入る。何故か安心させる響きを持つ声だ。

「はい?」

 エルルゥは貌を上げ、アルクェイドを見る。穏やかで柔和な微笑みだ。昼の時と同じ、周りに明るさを振り撒く太陽の様な微笑み。

「私たちが探してきてあげよっか」

「たち?」

 志貴は首を傾げた。反対はしないが、何か厭な予感がする。

「えっ」

 エルルゥは眼を見開いた。

「じゃあ行くよ、志貴」

 荷物の様に志貴は脇に抱えられた。アルクェイドに運ばられると云う、移動するのに此ほど適する手段はないが、志貴は人様の尊厳を手摺の向こうにポイッと捨てられた感じである。

「如何やって場所を知るんだよ」

 既に諦めている志貴は、躰を弛緩させてアルクェイドに尋いた。

「あはー♪私の探査能力は凄いのだ☆」

 妙に明るいアルクェイドは片手を腰に、脇に志貴を抱えて(のたまった。金色の髪が煌煌と輝いて見える。



 対魔王処刑執行人のアルクェイドならば、探索も魔力等の『力』によって用意だろう。
 それにしても琥珀笑みは説得力が凄まじい。



「エルルゥ行って来るね。アルルゥおやすみ」

 アルクェイドは手摺に乗って云った。脇の志貴はぶらぶら左右に揺れている。

「お願いします」「ん」



エルアル絵 双葉

 エルルゥはアルルゥを抱き乍ら腰を曲げて頼み、アルルゥは頷いた。

 瞬間。
 太陽の微笑みは手摺から森へ、
 ――境界から自然の闇へ跳んだ。























 月が夜空に浮いている。真っ黒なキャンパスに星と云う砂を零し、真円に切り抜かれた箇所から光が漏れる。優しい陰光が岩場へ降り注いでいる。大小様様な岩があり、普段ならば人等居ない見通しの良い場所である。
 周りを木木に覆われた開けた空間。一種の結界となっていそうな岩場がある。
 カサカサ、と葉が擦れ合う音が夜に響く。

 月のみでなく、星星にも照らされるのはハクオロと小さな身なりで装飾豊かな格好の者が小岩に座っている。
 小柄の者の衣服は儀礼外套(がいとうと云う立派な作りの品である。しかし、布によって貌を覆い、素顔を隠している。ハクオロも外れない鬼の面を被っているので、追求してまで知りたいとは思わない。

 此の者の名はアムルリネウルカ・クーヤ。幾多の國がある此の島国の強国の一つ、【クンネカムン國】の皇である。ハクオロが時折夜中に出会っている者だ。
 クーヤは村から成り上がりのハクオロに関心を抱き、邂逅の場を設けたのである。回数は一度二度ではない、数回に及ぶ。

「【クッチャ・ケッチャ國】との戦の勝利、祝いを述べる。そなたが死ななくて余は嬉しい」

 口調は高飛車だが、まだ幼さが残る優しげな声だ。祝いと云うよりもハクオロの生を喜ぶ言葉である。表情は布に覆われて解らないが、微笑んでいるのだろう。

「ああ、頼りになる仲間たちがいるからな。彼女らが居るから私は生き、彼女らが居るから私は戦う」

「大切な人と申すわけか、余のゲンジマルやサクヤみたいな者たちか」

 ゲンジマルとはクーヤの守護者的な者でトウヤと同じ戦に優れる【エヴェンクルガ族】の戦士。単一民族國家である【クンネカムン】の中で例外的に大老を務めている武術の達人である。サクヤとはゲンジマルの孫で侍女の様な立場の者だ。
 皇であるクーヤの生活で日常を彩る人物たちである。

「そうだな。皇の立場としては國の民を優先しなければいけないのだろうが、私にとっては其れよりも私の大切な人たちを重要に考えてしまう。自分勝手な皇であろう」

 ハクオロは苦笑した。が、言葉に暖かみがある。

「否。そなたの考えは正しいと思う。余も――そうなのだろうな。しかし、余は【クンネカムン國】の皇としての責務を果たしきれていない。お飾りに大切な人が護れるか――」

 クーヤは自嘲した。種として弱小の【シャクコポル族】による単一部族国家【クンネカムン國】の皇になったクーヤはまだ幼い。両親が死んでから皇位を引き継いだのである。其の政力はまだまだ未熟だ。種族として弱小である【シャクコポル族】が國を成す事が出来たのは、【大神ウィツアルテミシア】と対を為す【大いなる父】の恩恵の御陰だと聞く。

「クーヤにしては気弱な発言だな。関係ないだろう。ゲンジマル殿とサクヤをクーヤは支え、支えてもらえば良い」

 そう、だな、とクーヤは応えた。

 表情は布に隠れて解らなかったが、ハクオロは笑っていると思った。



 其の時。
 二人の背後から大きな体躯の初老の男が闇の中からぬっ、と現れた。
 広げれば翼の様な獣耳。右目に眼帯。刀を差し。筋肉質である。体格の割に穏和な貌付きの男だが、表情は引き締まっている。此の者がゲンジマルである。

「クーヤ様。ハクオロ殿。さがって下さい」

 低い切羽詰まった声だ。刀を抜き、暗い森の少し上空を睨む。

「如何した!ゲンジマル」

 クーヤが身を乗り出して叫んだ。

「『バケモノ』が来ます。二人ですが、片方が計り知れない奴です」

 ゲンジマルの額から一筋の汗が垂れる。圧倒的なまでの存在感が凄い速さで近付いてくるのだ。

「『バケモノ』?」

 ハクオロの問いに、はい、とゲンジマルは応えた。



 ゲンジマルにつられて上空を観ていたハクオロの視界には、満月を背景にして白朱の色彩が見えた。

 神神しいまでの美しさ。空中に絹糸の様な金色の髪を踊らせ、白襦袢に朱袴、淡い光の中に浮かぶのは一枚の絵画の様である。
 脇の荷物は揺れ、月を背負っている。

巫女絵 双葉

 ふわり、と三人の眼の前に舞い降りた。

 木よりも高い場所から降りたのに微動だにしないとは強い足腰である。其れよりも矢張り跳んで来たのだろうか。常識が通じない奴だ。

「ハクオロ発見☆」

 鈴を転がした様な声を発した。アルクェイドだ。
 脇の荷物――志貴――を降ろす。

 志貴は青白い貌で軽く手を上げて挨拶をすると、物陰に隠れ、ハクオロたちには嘔吐の音が聞こえてきた。上下運動に酔ったらしい。

 アルクェイドが志貴に付いて行って背中をさすっているのが見える。

「ハクオロ、誰だ?」

 クーヤの声が当惑を帯びている。

「――仲間だ」

 ハクオロには其れしか云えなかった。























 志貴が落ち着いてから其れ其れの紹介を終えた。
 志貴の視軸がハクオロに向けられる。

「夜中に少女に会っているなんて、エルルゥに如何やって釈明(いいわけ)するんだ?」

「クーヤは男だろう」

 ピリリ、とハクオロの発言で空気が帯電した。クーヤは志貴とアルクェイドから視軸をハクオロへ移し、貌は布に隠れて表情が判らない筈だが、睨んでいる様だ。

「何を云っておるハクオロよ。余は女性じゃ」

「えっ!?」

 貌を覆っている布を外し、クーヤの素顔が覗ける。くりっとした丸い瞳。小さな鼻。薄い唇。ピンと伸びた兎耳。エルルゥとは違った幼さが残る少女である。外すならば隠す必要はあったのだろうか。

 ハクオロは一國の皇を女性が務めているとは思わなかった為に、眼を丸くして驚いた。幼い声音も変声期前の少年の様であり、少女であった故に判断を男性としていたのだ。男が治めると云う先入観が僅かなりともあったのである。

「クーヤが、女?」

「失礼な奴やな、余が女性以外に何に見える」

 クーヤの声に棘棘しさがある。男と思われていたのが気に入らないのだろう。

「否。すまない。」

 クーヤが女性であった事に驚いたが、志貴の観察眼にも驚かされた。

 アルクェイドから聞いていたが、魔導的効果を押さえたとは云え、此が『女殺しの魔眼』の力の欠片か、と志貴に必ず突っ込みをくらう事をハクオロは思い浮かべた。

 まあ、良い、とクーヤは小さく頷いて、溜息を()いた。



「アルクェイド殿、貴女は何者ですか?」

 ふいに、ゲンジマルがアルクェイドに低い声で問うた。

 アルクェイドの圧倒的なまでの存在感。吸血衝動を押さえる為に自己へ力を使っているが、溢れ出す力は並大抵のモノではない。
 其の力の持ち主が、何と云えば良いのやら、美しい。(たしかに其れは云える。
 しかし。
 自己紹介から続く、アーパーを冠するアルクェイドの会話では、実力に合ったモノが感じられないのである。ゲンジマルは疑問に思う。何故此の者が此程までの力を持ち得たのか。隣に居る羽織袴の志貴との漫才は一体何なのか。

「ん? 吸血鬼だよ」

 アルクェイドは小首をこてんと傾げて、艶ある唇を動かす。

「吸血鬼?」

 今までに聞いた事のない種族である。クーヤも興味を持ったのか足を組んでいるアルクェイドを凝眸(みつめた。

「血を吸う鬼。独自の理論を持って動く、力が強い者よ。『世界』に在る者たちは自の在り方を確立して観ているのだけど、私は貴方たち――人とより外れて『世界』を観るモノね」

 アルクェイドは唇に指を添えて、ゆったりと紡いだ。言葉の途中に志貴を見遣った。

 説明は難しいんだけどね。とアルクェイドは言葉を結ぶ。

「否。まあ、良い。余が知らない種族があったと云う事か」

 そう云う事よ、とアルクェイドはクーヤに応えた。
 ゲンジマルは眉を顰めて黙した。

 アルクェイドの云った言葉は抽象的で解り難かった。

 志貴は思う。クーヤとゲンジマルが理解出来ないのも仕方がないだろう。

 観る世界とは内に広がる世界と此の外の世界に分けられる。つまり心的世界と外的世界だ。心的世界とは、何ものにも縛られない心の在り方である。思考し、空想し、妄想し、感情などを司る『こころ』である。外的世界とは、物理法則や自然法則、魔導法則などに縛られた世界である。人が暮らして行く現実世界だ。
 しかし、心的世界は外的世界から多くの影響を受け、在り方を歪められて仕舞うのだ。だが、歪められなければ、人は周りに合わせて共に暮らす事は出来ないのである。

 心的世界――こころ――が同じ人は有り得ない。人は異なる世界を一つ包有するのだ。人にとっては其れが個であり全である。――魔導呪の中に『固有結界』がある。心的世界を形にし、心象風景を顕す魔術の禁忌の中の禁忌。同じ『固有結界』を持つ者は居ない。同じ存在でなければ同じ『固有結界』を持つ者は有り得ないのだ。

 心的世界は人其れ其れ違う。故に、外的世界は不変だが、心的世界に人は影響を受けるから、観る人人は微妙に異なって『世界』を観るのである。
 一つの対象を認識し、異なった印象を受ける。つまり、簡単な例を挙げれば好き嫌いがそうである。

 『魔』であるアルクェイドや『超能力者』である志貴は『世界』を他の人よりもズレて観ているのだ。



「クーヤって何処に住んでるんだ? 國から國へ渡るのは時間が掛かるだろ。一週間じゃ足らない、一ヶ月ぐらい掛かるんじゃないか? 何かあるのか」

 志貴はアルクェイドと話しているクーヤから視軸を外し、隣に座っているゲンジマルに問うた。

「歩で一ヶ月半、ウォプタル(うまで二週間掛かりますが、処に来るのにはクーヤ様の『アヴ・カムゥ』――生体機動兵器――を使用しておる故一日半もあれば着きます。【クンネカムン國】は『シャクコポル族』は種として弱いが為に虐げられる前に『大いなる父』の恩恵にて剣、槍、弓が力持つ戦に絶対的な力を示す。其れが『アヴ・カムゥ』です」

 志貴は移動手段を訊いたのだが、答えられた物は何か物騒な物であり、そこはかとなく重要な単語に聞こえた。
 故に、『アヴ・カムゥ』とは何か、志貴はと訊いた。

「飛行機みたいなものか?」

「飛行機とは何ぞや?」

 ゲンジマルは聞いた事がない単語に眉を顰めた。

「空を飛ぶ鉄の鳥だよ。人が乗れるんだ」

「空を飛べますが『アウ゛・カムゥ』は人型であります。外見は巨大な鉄人形です」

 ふぅん、と志貴は然程興味をない様に鼻を鳴らした。G秋葉を思い起こす為に平静を保つのが難しい故に割と離れたい話題であったのだ。

 ロボットの様な物を【クンネカムン國】は所有しているのだろう。力が弱いが為に圧倒的な兵器を持つ。其れがあったからこそ、國を建国できたのか。

 志貴は再び視軸をアルクェイドとクーヤへ向けた。クーヤの隣に座っているハクオロは二人の会話の最中に相槌を打っていた。月の光が美女と美少女を浮かび上がらせる。

 二國の皇同士が会うのには不適当な場所だが、友人が会うのには良い隠れ場だろう。そう。隠れてでないと好きに語れない皇の立場であるクーヤ。幼い少女が背負うには重い責任だ。表面は強くあろうとしているが、内面は如何だか、志貴にはまだ解らない。

 遠く離れた地で友達が欲しかったのか。故に此処まで来たか。サクラと云う侍女を話す時のクーヤは柔和な微笑みで優しい表情だった。侍女であり、大切な人らしい。ハクオロに会ったのは立場が対等な皇でなければ何かがいけなかったのだろうか。自の観る世界の中で大切な人を見つける。其れは生きてゆく中で重要な事だ。クーヤは國から離れ、何かを探していたのだ。其処で見つけたのが一人の皇、ハクオロ。
 そして。
 今はアルクェイドと楽しげに話している。すぐに打ち解けられるアルクェイドが凄いのか、クーヤが求めている何かがアルクェイドに偶偶(たまたま)あったのか。其れすら志貴には解らない。だけど、此の月光の下で笑っている二人を見ていると如何でも良く思えてきた。エルルゥは如何なるのかなと志貴は思い乍ら、微笑みを浮かべていた。

 何時までも、少女二人の微笑みは優しい夜の中で絶えず続いている。

 





第五章 陽の光 終幕









あとがき


其の一

 エルルゥの悩み。色色と大変な位置に居る娘です。【ヤマユラの村】に居た村娘が、戦場と云う死地に居るのは耐えられるのでしょうか。人が死んでゆく場所です。それも医療関係を一任されている彼女は安全な場所で、死んでゆく者を数多く見届けないといけません。
 武器を取る者は、人を殺す嫌悪感と戦い。傷人を癒す者は、助けられなかったときに無力さを嘆く事があると思うんです。

 優しい彼女ならば、涙を流しながら治療を施しているでしょう。『死』との駆け引き、医療現場も戦場です。一分一秒も無駄に出来ない時間との戦いなのです。だからエルルゥが『死』とは何かを、『死人』とは何かを悩んでしまう事があると思う。

 アルクェイドが説明していましたが、それによってエルルゥは、『あの娘』は如何いう立場なのかと疑問を抱いてしまいました。
 けれど、それは別に関係のない。自分が如何想っているかにあると思い至ります。エルルゥの選択です。アルクェイドに相談出来たのも幸いでした。太陽の様な微笑みのアルクェイド。彼女は明るさを振り撒く、そんな女性です。



其の二

 今日、家より授業中にSSを書く方が進みが速いことに気が付きました。
 ――ヤバイ。留年しそう(爆) 授業中に集中すべき勉学へのベクトルをSSへずらしているのかな。あはー。赤点が増えますねぇ。

 今回のお話は物語の繋ぎのクッションみたいな感じですかね。『死せるもの』のお話一つ一つの副題はその話のテーマから付けているのですが、後半は内容が薄かった。がっかりです。前半みたいなアルクェイドの微笑みの意味、もたらす力を描きたかったです。難しいです。はあ。

 まあ、志貴とアルクェイドは夜遊びのしすぎということで。



其の三

 其の三まで書くと容量が重くなりますね。どうしたことやら。20kbから25kbを目指しているんですが。

  問題は『うたわれるもの』の印象が私の中で薄らいできた事。口調が合っているか甚だ疑問です。大丈夫かな〜。此の章には双葉さんの挿絵が二枚入る予定です。楽しみにしてみてくださいね。 それでは

 

[第四章] [書庫] [第六章]



アクセス解析 SEO/SEO対策