死せるもの

第二章 異端








 戦國の刻。島国である此の土地の一部を占める【トゥクスル國】。其の國の皇は『仮面皇』『好色皇』『奴隷皇』等と呼ばれている。曰く、決して外せない呪われた仮面を付けている。曰く、美しい少女、女性を引き付ける魔性の者。曰く、民の為に臣家に生かさず殺さずの終わることのない仕事を課せられ、仕事場から外へ出られない。名を、ハクオロと云う。

 彼は【ヤマユラの村】で暮らしていたが、前皇の圧政に村人が苦しみ、終止符を打つ為に叛軍を指揮し、見事、信頼できる仲間と共に目的の前皇を討ったのであった。

 しかし、彼には一つの誤算があった。平穏な日々を暮らしたい為に皇を討ったのだが、國に皇が居なくなってしまったのである。纏める者が居ない國は滅びる。彼は仲間に半ば強制的に薦められ、渋々皇職に就くことになった。けれど、愚痴は云うが民の為にやることは(すべてやっており、其の政力は素晴らしく、此の國、【トゥクスル國】は平和であった。

 ―――つい、最近までは。























 志貴とアルクェイドは皇城の中に居て、遠野家玄関程の大きな扉の前に立っている。

 案内をしてくれたソポクは二人の前に立ち、其の扉を開けた。扉が開き、木の軋む音がする。

 大勢の聴衆の中、敷き布の上を歩き、正面の椅子に青年が座っているのが見えた。二つに分けたさらさらの黒髪。バイザーの様に鼻から上を覆う白い鬼の面。強さがあり、穏やかさがある黒い瞳。引き締まった口許。白い長外套(ロングコートの上に青い羽織。蒼い袴。黒い帯。青年が口を開いた。

「私は此の國の皇をやっているハクオロと云う。君たちには礼を言うよ。よく村村を救ってくれた」

 穏やかな口調であった。アルクェイドは特殊な仮面を掛けているハクオロに、少々おかしな印象を受けた。が、別に気にしない様だ。

 其れに対し志貴は、大きく眼を見開き、鋭く細めた。口許が若干歪んだ。(わらっている。

「あなたがハクオロね。私はアルクェイド。礼を云われる事でもないわ。ソポクたちには恩があるからね」

 アルクェイドは腕を組み(ながら云った。

「否。そう云わないでくれ。『もし』、なんて云いたくないが、君たちが居なかったら、村の皆が如何にかなっていたかもしれないなんて寒気がする」



 志貴は自分の中の血が掛け巡るのを感じる。ドクドク、と心の臓が鼓動し、血液が脳髄に送られ、吐き出される。



 ―――ドクン。



「そうですよ。本当にありがとうございます」

 ハクオロの隣に控える少女が頭を下げた。白い輪の装飾品を付けた、腰まである黒髪。おおきな黒茶の瞳。小さな鼻。薄桃色の唇。先が黒い白の獣耳。ふさふさした大きな尻尾。秋葉並に控えめな胸。縁が赤茶の白い和装の着物。蒼い帯。

「あなたは?」

 アルクェイドが視線を向けた。

「あっ。私はエルルゥと云います。私もあの村の出身なんです。久しぶりですね、ソポク姉さん」

 エルルゥはアルクェイドからソポクへ視線をずらし頭を下げた。ソポクは軽く手を上げた。

「エルルゥも其の位置が板に付いてきたじゃないかい」

 後で聞いたが、エルルゥはハクオロの正室か側室に入る予定の複数の中の一人だと云う。ハクオロは未だ独り身であり、誰が正室かを争っているそうだ。

「ソポク姉さんもお変わりなく、元気そうで嬉しいです」

 エルルゥは村が兵に襲われたと聞いた時は血の気が失せた。けれど、元気な姿を直接見れて、胸の辺りが温かくなる。

「其れにしても、あの数の兵の命を取らずして、如何やって倒せたのか?」



 志貴はハクオロの声が聞こえなくなってきていた。心が興奮し、高まり、しかし、頭と(からだは冷や水を浴びたように静まり、落ち着いている。



「ん〜。別に足をポキポキ、と折っただけだよ」

 結果はアルクェイドに聞かなくても解るのだが、過程が知りたかったハクオロは少し困った表情になった。しかし、問題にする事じゃないか、と頷いておいた。

「そして、黙っているのが志貴殿ですか?」

 ハクオロは困惑気味の声色で志貴に問いた。這入ってから一言も発しない志貴を疑問に思ったのだろう。

「志貴、如何し」

 アルクェイドが少し後ろに居る志貴を見た瞬間表情が強張った。

 直ぐ様志貴に聴衆の目の前で抱き付く。其の様は赤子をあやす様に優しい抱擁。

 アルクェイドが見た志貴の(かおは『殺人貴』の時の表情だったのだ。過去に微塵も殺気を見せずに吸血種、真祖、『白き姫君』アルクェイドを『殺した』時と同じ貌。其の表情は殺人機械の如く『魔』を『殺す』時の貌。

 アルクェイドは『此の世界』の人は『魔』寄りの存在だと云ったが、志貴がそんなになるなんて―――ハクオロか。『異端』であるハクオロを。真祖よりも鋭い『魔』を捉える独自の感覚で何かを察したのだろう。

「志貴、落ち着いて。何もないんだから、私を見て」

 アルクェイドは手を添えて、志貴の貌を眼鏡越しに覗き込む。



 ―――何を云う。俺は落ち着いている。  為に。そうだろう。アルクェイド。



 ―――アルク。



「―――アルクェイド?」

 志貴の表情がいつも通りに戻った。

「善かった〜」

 アルクェイドは抱き締めて志貴を胸に埋めた。

 アルクェイドがした行為は、空中に張られたピアノ線の上を歩く様なものだった。志貴が落ち着くか、自分も『殺される』かのどちらかだったのだ。志貴が自分を制御出来れば何事もないが、もしも『魔』であるアルクェイドを『殺した』たら、其の後にハクオロを、近くに居るエルルゥを、世話になったソポクを、此の城に居る皆を殺しただろう。否。必ず殺す。

 そして、後で悔やむのだ。一人血海の上で、涙、鼻水を流し、胃の中を打ち撒けて。泣いて泣いて悔やむ。そうならなかったから、本当に―――。
 ―――善かった。

「心配したんだよ」

 アルクェイドは殺されそうになったのに、口許を弛めて微笑んだ。

「―――ああ。そっか。またか……。―――ごめん。そして、ありがと」

 志貴は(すべてを察し、アルクェイドを抱き返した。

「如何したんだい。二人共。いちゃつくなら人目に付かない処でやりなね」

 ソポクが抱き締め合っている二人に云った。本人たち以外なら、話の途中、皇の目の前で突如(いきなり抱き付いたバカップルにしか見えないだろう。

「―――すいません。取り乱してしまいました」

 志貴はソポクに謝り、アルクェイドの位置を逆にずらし、後ろから覆う様な格好になった。そして、貌をハクオロへ向けた。

「初めまして、遠野志貴です。一つ、質問があるんですが良いですか?」

「勿論」

 御前で無礼な行為をとった志貴の申し出にもハクオロは頷いた。

 志貴の表情は能面の様だ。感情を殺し、遠野志貴として神経が研ぎ澄まされてゆく。

「―――貴方は、なんでそんなに濃いんですか」

「何が?」

「否。なんでそんなに澄んでるんですか」

「すまない。もっと解りやすく聞いてくれ」

「―――貴方は、『バケモノ』の自覚がありますか?」

 場が閑寂(しんとした。皆が皆、静まり返っている。

「何を云ってるのさ!?志貴!!」

 ソポクの尖った声が静寂を打ち破り、辺りに響いた。

「貴方の潜在的な力は『バケモノ』です。それも、アルクェイドの様な『バケモノ』です」

 ソポクの声を無視して、志貴の言葉がハクオロに鋭利なナイフとして突き刺さった。『アルクェイドの様に』、とは意味が解らないだろうが、『バケモノ』は解るだろう。人が、自分たち以外を除外する鋭利な言葉。

「―――ッ。君は、私が解るのか?私が何故仮面を付けているか。私が何故他者が知らない知識を持っているか。私が何故存在するかを」

 ハクオロは言葉を詰まらせ、其の声は若干震えている。

 エルルゥがハクオロの腕にしがみ付いて、志貴を非難する様に睨んだ。

「アルクェイドは吸血鬼です。其の力は地を割り、岩を穿ち、人を襤褸衣(ぼろきぬの様に引き裂けます。あなたはこいつに限りなく遠くて、限りなく近い存在です。種が違うのでしょうが、やれる事はそう大差ないと思います」

 志貴はハクオロの問いにも無視し、言葉のナイフを振るい続ける。静まっている聴衆はアルクェイドの力を信じる事は出来ないだろうが、言葉は痛烈である。

「―――私には、そんな事は出来ない。そして、私には【ヤマユラの村】に流れ着いた以前の記憶がないんだ」

「そうですか。俺が云える事は、俺が此の國の人に感じた力の一番強いモノを貴方に感じると云う事です。少なくとも、仲間外れでは無いですよ」

 志貴が云い終わった時に、鉄の拳が打ち込まれた。アルクェイドから手を離し、壁まで志貴は飛んで行く。

莫迦(ばか!!!そんな事云ってんじゃないよ!『バケモノ』?仲間外れ?ハクオロはハクオロさね。『バケモノ』なんて、又云ってごらん。拳だけじゃ済まないよ!仲間外れな訳ないじゃないかい。ハクオロは、ハクオロなんだよ」

 ソポクが怒鳴った。腹の底から、心の底からありったけの声を張り上げて。一緒に暮らしている志貴を、一緒に暮らしていたハクオロの為に怒った。

 壁に打ち付けられた志貴は腰を落としたが、よろよろ、と壁に寄り懸かり(ながら立ち上がった。

 志貴の下へアルクェイドが駆け寄り、上目遣いで覗き込む。

「大丈夫?志貴。云い過ぎだよ」

 アルクェイドは優しく目を細めた。志貴が、ソポクに叩かれる事を覚悟し乍ら云ったのを気付いていたからだ。

 想い人に『バケモノ』と云われても気にしないアルクェイドは、強い。何より志貴を信じているアルクェイドの想いは、強い。そして、『バケモノ』と云った志貴も其の言葉を気にしない。
 なぜなら、真実(ほんとうだから、其れでも―――好きだから。



 二人は、共に生きる。其の命、尽きるまで。



「そうだね。熱くなり過ぎてた」

 志貴はクシャクシャ、と絹の様に艶やかなアルクェイドの髪を撫で乍ら、二人でソポクの前に行った。

「すみません。ソポクさん。俺の言葉が悪かったですね。ハクオロ皇を卑下する気持ちはないんです」

 志貴はソポクからハクオロへ視線を向けた。

「俺は、貴方の記憶を知りません。何故仮面が外れないのか。何故知識を持っているのか。何故存在するのか」

 ハクオロは志貴の眼を見据え、聞いている。

「けれど、貴方が貴方なら、ハクオロがハクオロならば、記憶なんて如何でも良いんじゃないですか。『我思う。故に我在り』と云う言葉があります。過去は大事ですが、今、如何するべきかが一番大切だからです」

 志貴は眼を細め、口許を弛めた。アルクェイドへ何時も向ける、志貴の優しい微笑みだ。子供の様な無邪気さが残る、そんな笑顔。

「―――そう、だな。ありがとう。私も少し錯乱していた。処で君たちは、此の後如何するつもりなんだ?」

 ハクオロはソポクの夫であるテオロから、志貴とアルクェイドが迷い人―――元の場所へ戻る方法が解らない二人は【ヤユマラの村】に居るのは一時的な事―――だと聞いていた。

 ハクオロは此の島国に二人の故郷がないのなら、海を渡って来たのかもしれないと考えていた。しかし、其の考えは仮令(たとえばの話で、確証がない。

 此の國。此の島国には海の先の世界の概念が存在しないのだ。此もハクオロのみが知る知識の一つである。

「解りません。けれど、魔導関係の調べ事をしようと思っています」

「そうか。―――如何だろうか。戦時で忙しい今、君たちの力を貸してくれないか?此の國の魔導関係の書物と魔導に詳しい【オンカミヤリュー族】の者が此の國に居る。其れらの知識と引き替えに、私の力になってくれ」

 ハクオロが、志貴の何処を気に入ったのかは解らない。『バケモノ』と云われたのに、怒りは浮かんで来なかったのだ。志貴に自分と共通のモノを感じたのか。アルクェイドと同じ様な存在と云われたのを気にしたのか。耳に毛が無く、尻尾がない二人の『異端』を知りたくなったのだろう。

 自分と共通の身体的特徴を持つ志貴とアルクェイド。同じ様な存在によって感化され、記憶が戻るかもしれないと考えたのだろうか。

 志貴の『今、如何すれば良いか』と云う言葉は、ハクオロが一番意味を知っている。兵を挙げ、前皇を倒し、國を纏めるハクオロだ。身に染みて解っている。

 しかし、ハクオロの記憶は【ヤマユラの村】以前が全く存在しない。ハクオロと云う名前も世話になった老婆に付けて貰った名だ。自分が知らない自分に気付いた志貴を側に置き、記憶の進展を望んだのだ。今は(たしかに大切だが、過去にとても大切なモノを持っていたとハクオロは思う。其れを知る事は大事な事だろう。故に二人を【トゥスクル國】に誘ったのだ。

「良いよ」

 今まで黙っていたアルクェイドが軽く云った。こちらは、ハクオロよりも何を考えているか解らない。志貴もアルクェイドの意見に反対はしない様で、肯いた。

 アルクェイドは志貴と居られれば其れで善いので、『元の世界』へ戻りたい気持ちは其の下である。カレーや妹、ヒスコハには会いたいな、と云うのはあるが、志貴が第一だ。

 『此の世界』に着いて、此の國の辺境から都に移っても問題はないだろう。力の行使は、死徒殺しが義務であったアルクェイドに否定はない。殺し慣れている。違うのは、元々生きているか死んでいるかの違いだ。



 志貴と共に居られれば其れで良い。



「それでは宜しく頼む」

 ハクオロが立ち上がり、志貴とアルクェイドと手を交わした。『殺人貴』と『白き姫君』と『仮面皇』の誓いである。























 木木に囲まれた巨大な木造の建物である【トゥスクル國】の皇城。此の地域は盆地であり、建物の上から眺めると360゜方向に山山が覗ける。城前は広場になっており、子供たちの戯れの声が回廊に居ても聞こえて来る。

 志貴は燦燦(さんさんと輝く陽の下で、横になって蒼い空を眺めていた。穏やかな風に煽られ、黒羽織とさらさらな髪が(なびく。『此の世界』に来てから昼寝の習慣がついてしまい、丁度今起きた処である。

「志貴様」

 呼ぶ声が聞こえた。此は(たしか―――。

「ウルトリィさんか」

 志貴は長椅子から躰を起こし、聞こえた方を向いた。

 其処に居るのは、太陽の光を煌煌(きらきらと反射する、腰より長い金色の髪。大きな黒碧色の瞳。高い鼻。ほんのり赤い唇。白い大きな翼。豊かな胸。緑のケープ。白いシャツ。ケープと同じ、緑のロングスカート。優しい雰囲気を纏った女性である。



 ハオクロが、志貴たちに加わってもらうための代償として提示した事の一つに、魔道関連の知識を持つ人物を紹介する事というものがあった。其の人物というのが、彼女、ウルトリィである。

 ウルトリィは、【オンカミヤミカイ國】の皇女であり、また【オンカミヤリュー族】の巫でもある。

 【オンカミヤムカイ國】は【始まりの國】や【調停者】とも呼ばれ、『宗教ウィツァルネミテア』の総本山でもある宗教国家である。そして、【オンカミヤリュー族】は、その主たる信仰の対象である神、『大神ウィツァルネミテア』の力を最も受け継いだ部族だと認識されている。

 翼持つ彼ら一族は、その証として、魔術とは違う系統の魔導―――方術―――の行使が可能であった。其の力は、天候をも操る事が出来る程のものなのである。

 このような出自を持つ彼女は、当然ハオクロ周辺の人物の中で、最も深い魔道知識を持っている。それ故に、ハオクロは志貴たちに彼女を紹介したのである。

 なお、ウルトリィが【トゥスクル國】に居る理由は、ハクオロと共にある事に、女としての幸せを見いだしたからである。

 もちろん、本来なら一國の皇女である彼女が他國に長期間居ることは難しかった。しかし彼女は、其の問題点を、審問会による國の監視の役目を持つ、國師としてこの国に駐在する事で突破した。さらに理解ある親の援護もあり、現在の様な長の滞在が可能になっていたのである。



「お昼寝ですか?」

「ええ。なんだか昼に一度寝ないと、調子が出ないんですよ」

 ウルトリィは志貴の答えにクスクス、と微笑った。

「ふふ。それではまるで、あの子たちみたいじゃないですか」

「まあ、そうですね」

 志貴は少し恥ずかしくて頬を掻いた。

 あの子たちとは、エルルゥの妹であるアルルゥ。ウルトリィの妹であるカミュ。歩兵衆隊長を務めるオボロの妹であるユズハの事だ。彼女たちは年が近い所為か、よく共に遊んでいる。此の頃は無邪気なアルクェイドも加わった様だ。

 聞こえてきた戯れの声の主たちである。

「【ヤマユラの村】と此処では、どちらの方が良いですか?」

「なかなか厳しい質問をしますね。どちらも過ごしやすく、人が善く、楽しいんですから。両方ですよ」

 志貴は眼を細めて、柔らかな微笑みを浮かべて云った。



 風が踊り、ウルトリィの長髪が舞い上がる。楽しく穏やかな会話の舞踏が、淡々とした月の下で一人舞う、寂しさを醸し出す舞踏に変わった気がした。

「そうですか。―――志貴様」

「はい?」

 志貴は急に低くなったウルトリィの声色に首を傾げた。

「私は、正直云いますと貴方方が―――恐いです」

「………………」

 ウルトリィは悲しそうな、其れでいて、怯えてそうな表情になっていた。

「貴方方は、『異端』です。私たちとは絶対的に違う位置に居る人だと感じます」

 ウルトリィは片腕を組んだ。穏やかだった風が、冷たく、身を凍らす冷風になる。

 志貴は長椅子から腰を上げ、見渡しの良い手摺に肘を掛けた。眼下に広がるのは新緑豊かな森。

「初めてハクオロに会った時、俺はハクオロに、貴方は『バケモノ』だと云いましたよね」

 志貴は、此からウルトリィに云う言葉は、ソポクに殴られた時と同じ様に、鋭利なナイフとなる事を覚悟し乍ら、口を動かし続ける。

「―――はい」

 志貴は振り返り、ウルトリィを見つめた。被るのは『遠野志貴』として、一番凍えた仮面。それは感情を表さない。能面の貌。

「彼だけじゃないんです。『バケモノ』だと感じたのは。―――貴方は、解っているんじゃないですか?」

「―――ッ」

 ウルトリィの胸にズプリ、と言葉のナイフが刺さる。躰が(びくりと震えた。志貴が恐い。何を云うのか。其の言葉が―――。

「貴方の妹のカミュも―――」



 パァァアアン!



 甲高い音が鳴った。志貴は蹌踉(よろけ、左頬が真っ赤に染まった。

 正面に向け直した眼に映された、ウルトリィの眼は濡れている。

「貴方に!―――何が解ると云うんですか!!」

 ハクオロたちに見せた事がない憤怒の貌だ。声高く。眼光は鋭く。志貴を睨む。

「あの娘は、良い子なんですよ。部外者の貴方に何も云われたくありません!」



  白き翼を持つ【オンカミヤリュー族】、その皇族、巫として生まれたウルトリィ。だが妹のカミュの持つ翼の色は、漆黒――。
 其れはカミュが『大神ウィツァルネミテア』の力を最も強く受け継ぐ証とされ、それ故に彼女は『始祖姫』と呼ばれていた。しかし、ウルトリィは、普通に遊んで、友達が欲しいと云うカミュの願いを知っている。【トゥスクル國】に来て、カミュは初めて友達が出来た。アルルゥとユズハ、アルクェイド。けれど、眼の前の志貴が其れを壊そうとしている。そんなのは絶対に許さない。



 志貴はウルトリィの表情を見ると、眼を細め、口許を弛めた。ハクオロに向けた能面が崩れさった後に(あられた、あの笑顔だ。憤怒と微笑み。全く違う表情の二人が向かい合っている。

「何が可笑しいんですか!?」

 しかし、ウルトリィにとって其の貌は、自分の想いを嘲笑うモノでしかない。

「俺はアルクェイドも『バケモノ』だと云いました」

 志貴は言葉を紡ぐ。此処は転換点だ。志貴が『反転』せず、遠野家から始まった『こちら側』の世界での生活を無事に暮らせた最も大切な事を伝えたい。

 ウルトリィには、云わなくても解っているかもしれない。けれど、言葉として伝えて置きたい。

「ッ。其れが何でしょうか」

 ウルトリィは眼光を緩めない。

「俺自身も―――『バケモノ』なんだと思います」

 急に、風が凪いだ。鳥の声も、草木の音も、子供等の戯れの声さえ止まってしまった。

 訪れたのは静寂。燦燦と陽が照るのに、今は、月さえ見えない闇。新月の刻の様な空間が包み込んだ。

「………………」

 ウルトリィには志貴が何を云いたいのかが解らない。

「―――そんな俺にも『愛する人』が出来ました」

 ウルトリィは始め、惚けかと思った。が、少し、違う様だ。

 闇夜の場所に月明かりが差してくる。仄かに明るい、優しい、月の明かり。

「―――『大切な人』が、沢山出来ました。秋葉。翡翠。琥珀。シエル。レン。他にも、沢山」

 冷たさを見せる時がある月なのに、志貴の笑顔は崩れない。月光の下に浮かぶのは、穏やかで柔らかな微笑み。

「こんな俺を、『好き』だと云ってくれました」

 一陣の風が吹いた。冷たかった筈なのに、今は温かい気がする。ウルトリィの長髪は風と戯れ、風が優しく包み込む。しかし、志貴の笑顔が、一瞬崩れたかに見えたのは、ウルトリィの気のせいだろうか。

「ハクオロとカミュは、此処の皆に愛されてます。他の者が『バケモノ』だと感じても、そんな事は関係ないんです」

 其の様な当然過ぎる言葉に、ウルトリィの眉が顰められた。

「当たり前です!カミュはカミュなんですから」

 志貴はクスクス、と微笑った。

 云わなくても矢張り解っていたか、と胸中で呟き、胸元が温かくなった。『異端』で『バケモノ』であっても、周囲の人によって救われる。自分がそうであったのだから、彼らにも大切な事だと思う。

「愛してやって下さい。彼らに大切な事ですから。『大切な人』を大切にして下さい」

 志貴は云い終わると、黒羽織を靡かせ乍ら、回廊の階段を降りて行った。

「―――貴方は、何が云いたいんですか」

 風が、優しさに満ち溢れた。

 志貴が云いたい事は解る。しかし、何故始めに、あんな言葉のナイフを振るうのだろうか。ウルトリィには解らない。けれど、志貴に、志貴たちに持っていた恐怖は何故かなくなった気がした。

 妹たちの戯れの声が、風に乗って聞こえて来る。ウルトリィは、志貴が横になっていた長椅子に腰掛けた。

 見上げた空は、澄み渡る蒼の空。戯れの声を聞き、優しい風に包まれ乍ら、ウルトリィは淡夢に(いざなわれた。







第二章 異端 終幕









あとがき


其の一

 志貴の反転衝動は書いていて楽しかったです。危ない人だけれど、これでこそ志貴だ!と思う私は変ですか(笑)アルクェイドと抱き合っちゃうし、思いを見せ付けてくれます。

 ハクオロが登場しましたが、このお話を読んでくれている読者に、何人ほど『うたわれるもの』を知っている人が居るのでしょうかね。

 そして、お知らせです。今後から、一つの章を分割掲載していきたいなと思っています。何回かの更新で一つの章が完成するわけですね。



其の二

 志貴はソポクに続き、ウルトリィにも叩かれてます(笑)
 もっと、上手く立ち回れたらこんな事にならないのに、不器用ですね。けれど器用だったら、人外大戦に巻き込まれず、琥珀さんのお遊びの策略に引っ掛からず、翡翠を手込めにしていますか。―――そんなの志貴じゃないやい(笑)

 日常では、皆に振り回されるのが志貴です。なので、日常でシリアスをしても不器用で、けれど想いを伝えたい。不器用ながらも、自分の気持ちを、考えを、想いを、嘘を吐かずに行動しているんです。
 自分に吐けない嘘を言わないのが志貴ですよね。

 それでは


[第一章] [書庫] [第三章]



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