死せるもの

第八章 姫








 空を覆い隠す、木漏れ日が零れる生い茂る木々を抜け、さあ、と蒼い空が開けた。今までは空を仰いでも葉葉が重なっていて、その隙間からしか青を覗けなかったが、すう、と葉葉を掻き分けて広がるように視界が開けたのである。

 志貴は青い空を仰ぎ見た。雲一つない青い空。天の底が抜けたような空は、眺めてみてとても清々しい気分になれる。先程までカミュが、アルルゥとユズハに『ごうかんま』とは口にしてはいけない言葉。乙女として口にしたらはしたない言葉であると教えていたことを、すっかり忘れさせてくれると、希望しても良さそうような空である。まだ胃が痛むけど。

 アルルゥとユズハは、カミュの話している内容をよく分かっていないように志貴には思えた。が、カミュの必死な様子を不思議に思いながらも了解したようだ。そもそも、アルルゥは10や其処らの年の少女だ。そんな幼女に教える話ではない。ユズハも、一応子を産める躰になっていると雖も、まだまだ幼い。それに二人は、片や皇女、片や正室候補。二人の周囲の者たちが、強姦魔に襲われるようなことはさせないだろう。そしてハクオロも、悠然としているように見えて、なかなかの激情家だ。冷酷とも云える。そのような者の縁者を襲うような莫迦な奴はいないだろう。だから、そのような知識を教えるのは不的確なのであるし、必要ないのである。

 志貴が空からゆっくりと視軸を下げると、少し離れた、この若干開けた広場の中央に大きな樹が立っていた。陽の光を浴びた青々とした葉葉は、広場を覆うように広がっている。並大抵の大きさではない。『この世界』に着いて世話になった【ヤマユラの村】の近くの山の(ふもとにある森には、御神木と云うものがあったけれど、そういう樹がこの森林に生えているとは聞いたことがなかった。が、立派な樹である。

 青々とした葉葉から更に下へ視軸を下げていけば、凹凸とした樹皮に覆われた幹があり、その下には、色の白い細面(ほそおもての少女が、撓垂(しなだれれるように、横座りに寝ていた。
 結い上げた金色の髪は綺羅綺羅と陽の光を反射し、うっすらと赤く染まったうなじと寝崩れた衣類からは白い肩と太股が覗けていてとても艶やかだ。

アルク

 アルクェイドが樹に凭れて寝ている。ふにゃ、と弛んだ口許が幸せそうで、見る者をほんわりと暖かな気分にさせてくれるような寝顔である。
 艶やかさかほのぼのか、見る者の主体によってとても印象が異なりそうである。アルクェイドはたしかに艶やかであるけれど、辺りに明るさを振り撒くほのぼのとした雰囲気をも纏っている。それの度が過ぎればアーパーと思われてしまうが、寝ているだけならば、子猫が眠っているのを眺めているような和みを与えてくれるのである。

「寝てるな」

「寝てるね」

「寝てる」

「寝ているのですか?」

 志貴とカミュ、アルルゥはアルクェイドを囲んで腰を下ろした。目の不自由なユズハは、ムックルに乗ったまま小首を傾げた。

 アルルゥが膝立ちでアルクェイドの方に寄って頬をつついたりしたが、全く起きる気配はない。両手でむにー、と頬を引っ張ったが、矢張り起きない。シエルがしたら、アルクェイドは暫くして起き、二人だけで喧喧諤諤のような騒ぎとなってしまう行為である。が、アルルゥではそうならないらしい。それからアルルゥは、何を思ったのかアルクェイドにくう、と抱き付いて眼を瞑ってしまった。

「アルちゃん寝ちゃうの? ん〜〜、ここでお昼寝もいいかもね」

 カミュは小首を傾げてから、人差し指を口許に当て、こくんと頷いた。
 そして黒い翼をぱたぱたとさせて浮かび、ムックルの上に乗っているユズハを抱きかかえた。

 ありがとうございます、とユズハは云った。カミュのしようとしていることを既に把握しているのだろう。眼が見えないことが、人の想いを想像するのを心がけさせ、それはかなり 正確に把握できるようになったのかな、と志貴は思った。

 カミュは、ユズハをアルクェイドの左脇に腰掛けさせ、彼女はその隣に座った。
 皆は樹に凭り掛かり、折り重なるように横座りに寝入った。まだ寝ていないだろうが、このぽかぽかとした陽気だ。暫くしたら本当に寝てしまうだろう。



   志貴は苦笑した。アルクェイドがいない、と探しに来ていたはずなのだが、無事見つかったら、どうして此処に居るのか尋ねもしない。アルクェイドが起きていたらそういう話題があがったかもしれないけれど、わざわざ起こすことはしないみたいだ。アルルゥにしてみれば、アルクェイドに何も起きていなく、その上幸せそうに昼寝しているものだから、無粋なことはせずに同じ行動を選択したのだろう。志貴とアルクェイドはクンネカムンに行っていたから、積もる話しもあっただろうに、そういうものは後回しにするようだ。

 志貴はアルクェイドの周囲で空いている右脇に腰を下ろして樹に凭れ掛かった。大きな樹の下は木漏れ日が零れて、葉葉が風に吹かれて揺れるたびに明かりがくるくると踊っている。アルクェイドが此処を昼寝先に選んだ理由が解った気がした。此処は、心地良い。
 トゥスクルの情勢についての話は退屈なものだろうからと、アルクェイドは志貴に付いていかなかった。しかし外に遊びに行っていたのはどうしてだろうか。遊びに行くことに疑問はない。アルクェイドはネコのような習性を持っているようだから、気まま気楽に行動しているのだろう。しかし。
 昨日遅くにクンネカムンから帰ってきて、アルルゥとユズハ、カミュと久しぶりに会えることになったというのに、アルクェイドは挨拶もせずに此処で昼寝をしていた。普段のアルクェイドだったら、三人に混ざって行動したはずである。何か考えることでもあったのだろうか。
 志貴は思う。
 もしかしたら戦場で塵殺した後に、彼女たちに会うことを憚ったのかもしれない。しかし彼女たちの内、アルルゥとカミュは戦場に立って起つ戦士である。それぞれケモノを、術法を行使して人を殺したことがある。アルクェイドは人殺しだが、二人も人殺しなのだ。けれども彼女たちは、人間を殺すということを、戦争を行うということをハクオロによって教えられている。しかしアルクェイドには、彼女の理論がある。人間が築いた社会性道徳性とは別系統の、真祖の王族、アルクェイド・ブリュンスタッドとしての理論だ。志貴が彼女を殺した後でも、その理論は瓦解しなかった。けれどアルクェイドは、志貴と一緒に居ることによって、少し常人とはズレているが、人間の理論を理解するようにしていった。自分で考え、自分を構築しているのである。今回の件も、何か考えていたのではないだろうか。
 しかし。
 志貴が幾ら考えたとしても、彼女が何を考え、何を構築したのかは完全には解らない。互いが居ればそれで良いという考えをも持っているが、互いを完全に理解はしていない。互いで完結しているけれど、完成はしていないのだ。
 人は、自分自身でさえ完全に把握できない生き物である。だから、他者を完全に理解することなど不可能だ。シオンの思考であれば、人の精神構造を追跡(トレースすることはできる。が、その幾つも思考したパターンのうちで、確率によってしか最善を判別できない。完全ではない。完璧に唯一のみを導き出すことは無理なのである。

   けれども志貴は、アルクェイドを理解しようとしている。完全は無理でも、何を考えているのだろうかと思考している。それは志貴だけではななく、アルクェイドも同じである。
 互いが互いを理解しようと努めれば、完全には届かなくとも、最善には至る。アルクェイドはそれを、この志貴(せかいだけではなく、他の人たち(せかいも理解しようとしているのだ。
 それは善いことである。アルクェイドが視界を広げて社会を見ることは、志貴にとっても好ましい。知ることによって、彼女はますます良い女となっていく。それは真祖として既定されていた存在意義ではなく、アルクェイドを成長させていくことなのだ。



 志貴は木漏れ日からアルクェイドへと視軸を移した。長い睫に縁取られた、朱の瞳は閉じている。ふわりと柔らかであろう淡雪の如く白い肌。紅を注してもいないのに、紅く染まった艶やかな朱唇。
 妙に気恥ずかしくなって顔を逸らした。そうしたらアルクェイドの躰が、まるで狙っていたかのように志貴の方に凭れ掛かってきた。肩に触れるアルクェイドの感触。驚きそうになったけれど、志貴は苦笑するだけにとどめ、自分も寝ることにした。

 青い空と大きな樹の下で、志貴はアルクェイドの存在を感じながら、微睡(まどろみに身を委ねた。







第八章 姫 終幕









あとがき


其の三

 八章は幕間的なお話でした。次回から話が動いて終わりへと。大きなエピソードを場面に分けて書いていきます。『朱眼鮮血』みたいに、最終章だけで前章までの容量に迫るということがないようにしたいのですが、膨らめば短いプロットでも際限がありませんからね(汗)

 情景描写と心情描写をじっくり書いていると、話が前に進みません。回想風にすれば良いのですが、この場面に相応しくありませんでしたから、膨らみ膨らみ文章が長く。この章のプロットのこの場面は、皆で樹の下で一緒に寝るのと志貴とアルクェイドについて、としか書いていませんでした。まあ、アルクェイドの描写には手を抜けませんから、別に良いか。

 其の三はアルクェイドはずっと寝ていただけなのに、アルクェイドのお話でした。アルクはいるだけで華があるという訳になるのかな。

それでは


 読んで何か思ったことがありましたら、気楽に送って下さい。

名前:
メールアドレス:

このお話面白かったですか?


[第七章] [書庫] [第九章]



アクセス解析 SEO/SEO対策