the incarnation of world
朱眼鮮血

最終章 終わりと始まり 第五楽章 魔法








 暗闇に輝く。
 朱なるは眼。
 夜に満ちる。
 鮮やかな血。

 空洞は昏い。透き通る黒が岩や苔、水などの上を這っている。(くら)い黒は内界と外界の境界を彷徨い、隙あらば外界を浸食しようする。
 匂いが闇の中に満ちている。生臭い朱い匂い。血の匂いが闇に混じって漂っている。黒と朱は蕩け合う。二色には境界は存在せず、此の闇(すべ)てが血と化そうとする。
 朱の匂いは、打ち捨てられた黒い塊が原因だろう。千を越える年月を過ぎた蛇が、とぐろを巻いて朽ちていた。其れからは朱黒が、ごぽりと溢れている。

 何処かで寛悠(ゆっくり)と水が滴る。ぽちゃん。ぽちゃん。闇の中で眠りを誘う様な其の単調な音は、(あたか)も絶命間際の者の脈拍の様だ。まだ生きているというより、もう死にかかっているという事を示す為の、暗い兆候。そして滴り落ちた水は洞窟の武骨な地面に落ちて、小さな水溜まりをつくっている。傍らの人影に怯えたかの様に、水溜まりの水面がさわさわと騒いだ。

 水面にヒトが映る。
 片方の異形は動く。片方の異形は佇む。

 片方は、異形を示す朱眼と煌びやかな銀色の髪。黒色の和服を着流しに着こなす。闇の隙間に浮かぶ白き肌は、磁器の様に透き通る。
 『世界の管理者』碇シンジ。

 片方は、眼鏡の奥の瞳は、朱よりも猶異質な瞳。普段なら碧の虹彩は蒼く、囲む水晶体は朱く染まった異形の眼。額に浮かぶは雷の痕。
 『魔術師』ハリー・ポッター。

 異界に二つの異形が浮かび上った。



 ぴちゃり。ぴちゃり。
 水音がする。
 シンジは闇に透ける様にハリーの許へ歩いている。水面に広がる波紋と(あしおと)だけが、シンジの存在の確かさを示していた。

 此処は『古の魔法使い』サラザール・スリザリンの工房。『秘密の――』と称される『秘密の扉』は、洞窟の最奥の空洞に設置されていた。地面は整備されて石畳が敷かれており、奇妙な機像(ゴーレム)が円形上に幾数も並べられ、風の通りがあって空調も整っている。そして空間に満ちる魔力(マナ)の濃度は高い。此処まで濃度が高ければ、ロックハートが行使した魔法の様に魔導式が間違っていたとしても、空間が残りの工程を肩代わりして魔導は顕現してしまうだろう。

 シンジはハリーと6間離れた位置に止まった。

「やあ、ハリー。お疲れ様。『バロールの幻蛇』はきちんと殺せたようだね。『蛇』は魔獣だけれども、千の年月を重ねたそいつは、幻獣の域に達せられていたか。よく殺せたと思うよ。相当な年月を重ねた概念武装ではないと、殺し切る事は出来なかったろうね。例えば、ダンブルドアが所有する、グリフィンドールが鍛えた千年物の魔剣ぐらいないと、滅ぼすのは大変そうかな」

 そうですねとハリーは応えた。

「けれどハリーはそんな概念武装を持っていない。其れに『蛇』は、躰中を幾つもくり抜かれた様に死んでいる。杖によって魔力を増幅させて高圧縮の水槍で穿つか、概念を喰らうリンを放てば出来るだろう。だが、水槍は此の洞窟を崩してしまうし、リンに至っては僕が持って行くのを禁じた。そして何より、魔力の残り香がないから、魔術は行使されなかったという事だ。行使するとしたら、ハリーの水槍とリンを召喚()ぶのは大魔術だから、魔力の歪みは必ず残る」

「ええ、魔術は使っていません。勿論、ホグワーツの魔法も使っていませんよ。仮令(たてえ)ば、拳法で倒したってのは如何ですか?」

「はん。僕如きに勝てないハリーの拳法では、『蛇』を倒せる筈がないだろう。僕でも無理だ。――ハリー、使ったね」

 シンジは鋭く眼を細めた。
 ハリーはシンジの威圧を受け流し、微笑みで返した。

「ええ、使いましたよ。水溜まりで貌を見たら、随分と変質していましたから、尋ねなくても判っていたんじゃないですか。此の魔眼をね」

「ああ、勿論だとも。ハリーが『抑止の魔眼』を使ったのは、既に判っていた。処で、ハリー。如何して僕が、其の眼を『抑止の魔眼』なんて名付けたか解るかい?」

 ハリーは首を傾げた。

「――解らないか。まあ其れも仕方がないか。では授業だ、ハリー。魔眼とは何だ」

「眼を合わせる。又は視界に収めるという1工程(シングル・アクション)で行使出来る魔術です。魔眼持ちは一流の証とも云われ、魔導的処置によって得られますが、僕の様に生まれつき魔眼を保有している者もいます。大抵其の場合は強力な魔眼であり、其れは宝石(ノウブル・カラー)とも呼ばれてますね」

「模範的な解答をありがとう。此の宝石(ノウブル・カラー)の場合は、魔術ではなくて超能力に分類されるんだ。そして、生まれつきの能力が超能力と呼ばれており、超能力は生まれつき故に『世界』が与えたと云っても過言ではない。もしくは『星』か『霊長』の方かもしれないかな。つまり超能力は、『世界の抑止力』が『世界の存続』の為に施したモノだ。凡ての魔眼が『抑止の魔眼』と名付けられても怪訝(おか)しくない。ただ、類分けをする為に『直死の魔眼』や『灼熱の魔眼』、『千里眼』などと名付けられたのさ」

「そうなんですか。けれど、其れが如何したんですか」

「ハリー。君は今、やりたい事があるんじゃないかな。衝動と云っても良いかもしれない」

 ハリーは苦虫を噛み潰した様な表情になった。

「解りますか。流石は先生ですね。後頭部の奥から声が聞こえるんです。けれど怪訝しいんですよ。如何して、僕が先生を殺したい(・・・・・・・・・)だなんて思わなくちゃいけないんですか」

 ハリーは云った。額に手の平を当てた。腰を伸ばして何処か遠くを見る目付きをする。

「『抑止力』は、此の世の何処かに世界を滅ぼす要因が発生すれば、自動的に其れを排除し殲滅するんだ。『霊長側』の『阿頼耶識』でさえ、対象を大陸ごと葬り去る力を持っている。『星側』の力は云うに及ばないね。しかしそんな事を繰り返しては、地球を殺してしまうし人類を滅ぼしてしまう。だから代行者が顕れる。其れは精霊かもしれないし、英霊かもしれないし、人かもしれない。――特別な力は特別な力を引き寄せる」

「――其れが、僕ですか」

 ハリーは一度言葉に詰まり、絞り出す様に云った。

 そうだよとシンジは応えた。

「『世界』か『星』か『霊長』か、どれだかは判らないけどね。ハリー、君は、僕が『此の世界』に顕現したが故に、『世界の抑止力』に囚われた。運命を決定された。道標を定められた。だから僕はハリーに関わった。僕が理由で運命を決定された人がいるなんて、堪えられなかったんだ。道標が補完計画みたいに定められるなんて吐き気がする。僕は他者の運命を決めるのも決められるのも大嫌いだ」

 先生、とハリーは云った。

「こんな事になったのは、『此の世界』ではない『異世界』の『世界の管理者』である碇シンジは、『此の世界』の『世界の意志』である『菴摩羅(あんまら)識』と同位階の存在だからだ。『世界』を滅ぼす要因としての因子は、十分満たされていると判断されたんだろう。『世界』は基本的に[疑わしきは罰せよ]だからね。僕はハリーを『世界』から誤魔化し続けていた。ハリーは赤子の頃、『抑止力』によってヴォルデモートを殺した事があるから、僕を滅ぼす者に選ばれたんだろうね。ハリーがダーズリー家を消滅()したのも、僕と関わる為に『抑止力』が働いたのかもしれない。だから、あの日僕は、『世界』からハリーを『外す』為に、ハリーに『僕の世界』で7重の結界を施した。日本にある『異界』は、針の穴より小さな入口の奥に作成したモノで、入口では『世界』からの影響を完全に遮断していたんだ。【ホグワーツ】に来てからは、僕の結界だけでは防ぎ切れなくてね。一年しか保てなかったみたいだ。ただ実際は、『抑止力』は自動的故に、ハリーは思考せず意識せず衝動的に僕を滅ぼす事を架せられていたんだけど、結界とハリーに連なる縁者のおかげで、こうした会話が可能となっているのさ」

「では如何やったら『抑止力』の運命から外されるんですか」

「其れは――」

 ハリーはシンジの言葉を遮る様に手を翳した。不意に、ハリーの口許が歪む。

「ああ、待って下さい、先生。解りました。とても簡単な方法があるじゃないですか」

 ハリーはわらった。
 ぐらりと空間が揺れる。

「――つまり、先生を殺せば良い(・・・・・・・・)んですね」



 シンジは、ハリーを中心にして空気が、否、空間が変わるのを感じた。闇に混じった『蛇』の血の匂いで満たされていた空洞が、無色の想念で塗り潰されて行く。水溜まりに波が生まれる。空間が波打ち、変革する。『意志』と『力』が『世界』からハリーに注ぎ込まれる。尽きる事のない『存在する世界の凡て』がシンジを滅ぼす為にハリーを後押ししているのだ。今ならば、ハリーは現代の技術では為しえない『魔法』すら使えるかもしれない。

 ハリーは『世界』の後押しを受け、『救世主(メシア)』となる。『抑止力』に押されて、自動的に世界を滅ぼす要因を、排除し殲滅した者は大勢いる。しかし其れは、『抑止力』は自動的故に、歴史に名を残させない。例外としてはモーゼやキリスト、ジャンヌ・ダルクらが存在する。ハリーは、ヴォルデモートを殺した事によって有名になったが、碇シンジを滅ぼしたとしても、決して其の事は歴史に刻まれないだろう。

 ぽちゃん。ぽちゃん。
 何処かから水音が響く。空間がどの様に変質しても自然法則は変わらず、物は地表へ落下して音は空気を伝わる。だが、マグルと呼ばれる『彼方側』の魔法が使えない者でさえ、此の空間の変質を感じられるだろう。其れは、スリザリンの工房だから、巨大な蛇が死んでいるから、洞窟という閉じられた闇だからではない。ハリー・ポッターという『英雄』が存在するからだ。

 ハリーは『世界』と接続している。繋がっている。触れている。勿論、空想具現化は使えない。存在の死も見えない。固有結界も使えない。ただ、ハリーには<意志(おもい)>を識る魔眼が備わっていた。



 ハリーの蒼朱の眼が細められる。
 シンジは横に跳ぶ。黒和服が靡いた。

「――消えろ」

 声変わりをしていない幼い声が発せられた。カン、と音が弾け跳ぶ。空間に言霊が溶け込んだ。

 シンジはハリーを視界に収めながら左へ跳んで、工房にあった機像(ゴーレム)に潜んだ。ごぽりと血が湧く。袖と共に、右腕の二の腕に孔が空けられた。勢い良く血が溢れる。一瞬遅れて鋭い痛み。シンジは血が溢れる箇所を、意味がないのに咄嗟に押さえてしまった。意識を集中させて再生させる。服と腕の孔が消えて復元した。黒和服の一部は血によって、更に黒く染まったままだ。



 シンジは思考する。『世界』にとっては、『抑止の魔眼』は碇シンジという『異世界』を消滅(ほろぼ)す為に存在するのだろう。モノを消滅()す能力はシンジによって封じられていたが、『世界』によって解放されてしまった。殺す朱と壊す蒼を視られ、意識を識れられるのは、モノを消滅()す能力の派生でしかないのだ。超能力の発現形が一種類ではないのは怪訝しくない。

 足が速い人が短距離走を得意とするだけではなく、瞬発力があるからバスケットボールを得意とする可能性がある様に、超能力が一般の人の使っていない脳髄の未知領域で発揮されているとしたら、其処には一種の多様性があるのは自然であるだろう。得意とする一種類の発現形の周囲に、其れに関連する別の発現形が存在していても怪訝しくはないのである。超能力は単独で存在するのではなく、他の能力もある程度付随しているという事だ。

 ハリーの能力は視界に依存している。が、『世界』によって能力を解放されている今、他の能力が発現しないとは限らない。ある超能力者は戦闘中に、視界にある物を曲げる『歪曲』だけではなく、終盤では脳髄の回線が開いた事によって、『千里眼』さえも得てしまったそうだ。ハリーも『消滅』に加え『千里眼』も回線が開いてしまったら、今のシンジでは滅ぼされてしまうかもしれない。



「――消えろ」

 カン、と孔が機像(ゴーレム)に空く音が響く。ハリーが呟く度に、シンジの背後の機像(ゴーレム)に孔が空いて行く。  シンジは機像(ゴーレム)が崩れる前に、別の機像(ゴーレム)に潜んだ。



 シンジの状況は厳しい。ヴォルデモート戦の様に、空想具現化は使えない。事象を引き起こせない事もないが、『シンジの世界』である日本の『異界』ではないから、工程を踏む最中は隙だらけになる。今では『世界の記録』に仮接続すら出来ない。そしてシンジは、『此の世界』に存在するだけで『修正力』に抗い続ける必要があるのだ。故にシンジの力は、ハリーとハーマイオニー、ロンに規格外と云われていたが、大部分を在るだけで消費されているのだ。



 シンジはまた、機像(ゴーレム)が崩れる前に別の機像(ゴーレム)に潜んだ。



 ハリーの『消滅』という能力は、現状のシンジを穿てられる。

 『世界の記録』に記された対象の情報を理解し、否定する事によって、『世界』から対象を忘却させるのだ。『世界』に刻み付けて記される『世界の記録』。其れに蓄積された情報を否定して、『世界』が忘却すれば、『世界』からの『消滅』という事象が引き起こる。『世界』からの否定という点は『修正力』と類似しているが、『世界』が異物を認識し否定するのに対して、『消滅』は『世界』から忘却される。『世界』すら、対象が存在していた事を忘れてしまうのである。

 ただ、『世界の記録』に記されたモノは、どんなに些細なモノであっても、莫大な情報量を保有する。人の身では此の量の情報を処理出来ない。だから処理するのは、情報の中の意志(おもい)だけに限定される。無機物有機物関係なく、有象無象のモノの意志(おもい)に触れ、そして否定して忘却させる。シンジすら行使出来ない、最高位の魔眼による能力だ。

 シンジも例外なく『世界の記録』に記されている。記されていなければ、シンジは存在していないという事になる。シンジが『世界』の『修正力』に抗っている事さえ記録されているのだ。そして記録の中にはシンジの意志(おもい)も記されている。『世界の管理者』であるシンジの情報量は莫大だが、ハリーの先生であるシンジの意志(おもい)だけの情報では、其の量が激減する。其れに、ハリーとシンジが共に暮らしていた期間が長ければ長い程、ハリーが『魔眼殺し』の眼鏡を掛けていたとしても、ハリーとシンジの絆が深ければ深い程、シンジを理解し消滅()す為の工程は短縮される。
 シンジは舌打ちした。
 『世界』から完全にハリーを隔離していても、『抑止力』は働いていたのだ。ハリーには『世界』にとって『キタナイモノ』を消したい衝動があった。そして現在、ハリーは『世界』からの後押しを受けている。シンジは未来を予測しきれなければ、其の時点で消滅()されてしまう。























 ハリーの視界は朱いヤミに染まっていた。眼球の奥に朱色のモノが注がれ、視界を赤く染め上げる。空洞は赤い。地面は整備されて赤い石畳が敷かれており、奇妙な赤い機像(ゴーレム)が幾数も並べられていて、赤い風の通りがあって空調も整っている。そして空間に満ちる赤い魔力(マナ)の濃度は高い。

 ――ああ、(すべ)てが朱い。

 機像(ゴーレム)の内の蒼い揺れが視える一つには、朱い線が伸びている。血の様な粘性のある線だ。否、線というよりも筒か。朱い筒がハリーの呪と共に機像(ゴーレム)を喰らう。まるで血管の様な筒が、対象を喰らう。



 ハリーは、ハリーを見下ろしていた。意識だけが躰を離れて、シンジを殺そうとしているヒトガタを観ている。今直ぐに躰を止めたい。
 ハリーは、自分を見下ろす存在に気付いていた。右肩の視界に入らない位置から、ナニカがハリーを観ている。が、気にせずシンジを殺そうと思う。

 ハリーは、何方(どちら)のハリーが本物の自分か判らなかった。シンジを殺そうとするハリーも、其の行為を止め様とするハリーも、何方もハリー・ポッターに違いない。シンジが云っていた、『抑止力』に押されたハリーは、仮令『世界』の人形だとしても、其の想いはハリーのモノだ。其の意志はハリーだけのモノだ。

 しかし、何方がハリーの意志か判らない。今までシンジと共にいたのだから、シンジを殺したくないと思うのは怪訝しくない。シンジは今までハリーの事を謀っていたのだから、裏切られた故に殺したいと思うのも怪訝しくない。
 何方だ。何方がハリーの意志だ。何方か判らないとは、自分は異常者なのだろうかとハリーは思う。

 異常というなら異常だろう。いや、シンジも含め、魔法界全部が、否人間全部が異常なのだ。異常と正常の境界などない。
 シンジに聞いた事がある。
 人間は誰でも何時でも、其の両方の領域を行き来して暮らしている。発現の仕方が特殊なケースがあるにしろ、凶悪殺人犯だろうが聖人君子だろうが、内面で起きていること事体に大差はないのだ。

 ただ、自分も異常と知る事は怖い。自我などというものは脆弱なものだから、己の異常性に自覚的に日常生活を送るという事は中中に難しい事なのだ。其処には生半(なまなか)ならぬ精神力が要る。だから――人は忘れる様に出来ている。くるくる替わる不安定な筈の己を常に一定であると思い込もうとする。其の為に人は性格だの人格だのという、定義すら出来ぬものを生み出して無批判に其れを信じ込むのだ。自分はこういう人間だ、私はこうした性格だと断言する人間程、自分の事が解っていない。人間はそんなに単純なものではないし、脳の仕組みだってそんなに簡単なものではない。

 だから自分はこんな性格だなどと平気で口に出来る者は、自己を何らかの形で規定する事がただの逃避であり、まやかしだという事にすら気付かぬ愚か者である。そして、其れでもまだ安心できない臆病者は、理解出来ない他者を異常だ異常だと誹謗するのだ。

 そう――超能力者はどの様な場合も理解されない。

 勿論存在自体は世界に適っているモノである。が、超能力者は世間における確実な異端者、社会不適合者なのである。しかし其れを差っ引いた後に、超能力者を異常だと責め得る資格を持つ者はいないとシンジは云った。其れは、例えば魔法が使えぬマグルであろうと同じ事だと。

 曖昧な自己。
 殺したいな。
 殺させない。

 ――どちらが僕なのだろうか。ねぇ、先生。



 ハリーは、また一つ機像(ゴーレム)を穿ち壊した。























 シンジは機像(ゴーレム)の影で息吹を整えていた。



 ハリーの『消滅』の弱点は、遮蔽物があった場合に、奥の対象を消滅()せられない点だ。朱線で対象を決定し、対象を理解し、対象を否定する。其の工程の中で、2種類の意志を同時に理解出来ない故に、遮蔽物を越えての行使が不可能なのだ。

 ハリーを『世界の抑止力』から『外す』手段はある。
 シンジは持てる最大の能力を発揮して最良の選択肢を選び最善の結果を収める者だ。

 シンジが『予測』した、ハリーが紅い赤い朱い記憶を思い出す今此の刻を。シンジが『予測』した、ハリーに初めて会ってから七日目の日に導き出した『結果』を。
 顕現させるのは今此の時、此の状況、此の月の刻でなくてはならない。

 ハリーが初めて『抑止力』によって排除した存在。其の者は、中世より退廃し始めた魔法使いの中で、古に殉じる魔法使いヴォルデモート。彼が『世界』より完膚無きまでに消された――此の時。
 シンジが、ロックハートの指を切断した幻影を魅せていた時に施した操演術によって、彼を操作して折れた杖に施した呪刻によって魔術を発動し、ハリーの記憶の封印を解呪した――此の状況。
 シンジが前回訪れた世界で観た『朱い月』。其の究極の一である存在を模した『蒼い月』を、ヴォルデモートを殺した時に、ハリーとハーマイオニー、ロンに感動を与えた『シンジの世界』の景色から『此の世界』に顕現させた――此の月の刻。

 しかし、まだ条件は足らない。
 『世界の抑止力』から『外す』為の儀式魔術は、他にも様様な要因があるのだ。



 シンジは深く息を吸う。戦闘中に儀式工程を済ませるなんて、普段のシンジなら考えられない。けれども、未来を予測し、1手たりとも間違えずに進めてみせる。

 ぴちゃり、と足許で水音がした。
 其の時、ハリーの詠唱が空洞に響いた。

「月は消えよ。汝を喰らう大蛇によって、月ならば消滅せよ。
 汝の王が沈む蒼界に浸透せよ。
 想起せよ。我の生命に喰われる汝の姿を。我に流れる濁流に喰われる汝の姿を」

 シンジは、ハリーの詠唱に息を飲んだ。まだシンジの儀式工程が済んでいないのに、停滞を打ち壊す1手を打って来た。



 五大元素の内、ハリーの属性である『水』による大魔術の詠唱だ。
 魔術にとって呪文とは、其の個人による自己暗示に他ならない。

 例えば、風を起こす魔術がある。システムとして『世界』に敷かれた事象を起動させるのには、魔導式内にキーワードさえ入っていれば良い。そして、より自己に埋没し、自己から引き出せるだけの力を絞り出す。詠唱が長ければ、其の分だけ埋没出来、引き出せる力は増える。

 呪文の詠唱とは自己の躰に刻み込んだ魔術を発現させるもので、詠唱は魔術師の性質が濃く現れる。其の魔術の発現に必要な意味合いと定められたキーワードさえ含まれていれば、詠唱の細部は各魔術師の好みに寄るからだ。

 ハリーの詠唱は、必要最低限の韻を踏み、また、自己の精神を高揚させる言葉を孕み、詠唱そのものの発音に3秒と時間を必要としない。

 呪文詠唱の組み立てのカタチと速さ、そして物質界に働きかける回路の繋ぎ方が、流石に巧い。



 ハリーは右手で剣指を突き出し、シンジが居る機像(ゴーレム)へ向けた。強烈な魔力の流れがハリーの躰中を切り刻む。ローブが踊り髪が踊り、額の雷の痕が覗けた。

 しかし、行使する魔術の工程が足りない。10小節における簡易瞬間契約だが、行使する大魔術には工程が足りな過ぎる。だが。
 ハリーの左手に握られている、鈍く光る白き杖が、足りぬ儀式工程を肩代わりする。シンジの骨で創った杖は、魔力増幅制御だけでなく、既に杖自体が神秘の域だ。

 空間が収縮される。まずは水溜まりや天井を伝っていた水が干上がり、空洞内の水分子がハリーの剣指に球を為して収束する。収束した水球は、(とて)も小さな物だった。爪よりも小さい。其れは、ハリーが収束させた空洞に存在した水量と比べて、明らかに異常だった。が、圧縮されていたとしたら別だ。凡ての水分子を圧縮し、刃物と為す。水は、ダイヤモンドのカッティングにも使われる強靭な刃だ。
 其れだけではない。
 空間の水分子を収束するのは、前座に過ぎない。実際は、圧縮された水を呼び水にして、死海の水を召喚する準召喚儀式魔術だ。

 死海とは、エルサレムにある塩分濃度が高い為に生物が生息出来ない湖だ。エルサレムはキリスト教とイスラム教、ユダヤ教の聖地であり、土地自体が神秘に包まれており、死海は概念武装と成り得る。そして聖書によると、浄化の裁きを受けた跡には塩だけが残ったという。エルサレムに存在する死海の召喚。神霊の神秘の助力を受けた上級浄化攻性魔術である。

 聖なる死海がただ一つの槍と成りて、ハリーの眼前に顕現した!

「我が従えた世界の理によって。
 ――想起せよ!」

 轟、と唸りを上げて死がシンジへ迫る。シンジは舌打ちした。儀式魔術を待機状態にさせて回避行動を選択する。物質界に顕現させる絶対恐怖領域は使えない。儀式には、シンジから拒絶という概念を発してはいけないのだ。ATフィールドは使用不可だ。

「ちィ!!」

 シンジは機像(ゴーレム)から離れる。水槍が機像(ゴーレム)を壊す音が聞こえた。破片がシンジに打つかるが、そんな物では傷を付ける事は不可能だ。

「持ってかれたか」

 水槍によってシンジの右腕が吹き飛んだ。血が溢れる。が、直ぐ止血した。神性による浄化作用は、『此の世界』ではない存在のシンジを否定する。よって、死海の槍で穿かれた傷は再生に時間が掛かる。此の儀式の最中に、右腕の復元は無理だろう。

輪廻(想起)せよ!」

 水槍が呼び水に引かれ、ハリーから再び穿たれる。
 シンジは空洞内を疾って避ける。爆音が響いて、孔が洞窟に空けられる。孔は、貫通して地上まで続いているかもしれない。

輪廻(想起)せよ!」

 聖なる水槍は凶悪な刃となってシンジを抉ろうとする。『世界の管理者』と(いえど)も、まともに喰らっては行動不能となる。其れでは儀式を完遂出来ない。

輪廻(想起)せよ!」

 シンジは水槍を避ける。
 『世界』の後押しを受けた『英雄』であろうとも、まだシンジの方が速い。
 だが、シンジは気付いていた。此れは布石だ。準召喚儀式魔術である上級浄化攻性魔術であろうとも、布石に過ぎないのだ。

 ハリーの左手にある白き杖が、今や光輝いていた。あれはシンジの骨によって創ったが、シンジの意志とは独立したモノだ。やばい。あれはやばい。召喚儀式を魔術回路によって組み込められた限定礼装であり、単体で発動しているという事は、杖と共に授けた喰らうモノを召喚する。

 杖の光がシンジの視界を焼いた。閃光が迸る。
 光の影から、少女が顕れる。

 中世西ヨーロッパの貴族が着込む、ゴシック調の純白のドレスに身を包んだ少女だ。真っ直ぐに伸びた純白の髪。淡雪の如き白い肌。大きな紅い瞳が召喚の光を反射して輝いている。其れを縁どる、濡れた様な白の、長い長い睫。小さな鼻と形の善い桃色の唇。同性も見惚れるほどの美少女――。

 『世界の管理者』碇シンジが造り上げた魔獣。リンシリーズ。第二作品。悪魔。脅かすモノ。綾音。姉妹。血の契約。美少女。白猫。ハリー・ポッターの眷属。

 喰らうモノ。
 真名: リン・クルセリア・セフィリアス。

 聖なる少女が――。
 ――ハリーの前に舞い降りた。

 リンは寛悠(ゆっくり)と振り返る。
 ハリーから、空を跳んでいるシンジへ視軸を移す。
 身を屈め、すうと右腕を伸ばして剣指を形作る。
 狙いはシンジの脳髄。地を踏み、空を翔けた。

 シンジの視界には、剣指を突き出したリンがどんどん大きくなる。リンが敵に回ったらシンジにとって危険だ。概念を喰らう彼女は、シンジの儀式魔術ごと喰らい尽くしてしまう。――其れでは駄目だ。

 シンジは残った左腕を上げる。
 空中で、ぶんと振る。
 空を切り裂き。

 虚数を定義したディラックの海を展開した。

「「リンよ、喰らえ!」」

 期せずして、シンジとハリーの声が唱和した。

 閃光となった少女は穿つ。
 くらい海から飛び出した女性が抉る。
 少女と女性は打ち合った。白き少女と黒き女性。白は剣指を突き出して黒は五指を開き、互いの力は空中で拮抗する。

 女性の腰まで届く艶のある、束ねた黒髪が踊る。硝子細工の様な紅い双眼。小さい鼻。小さな口。人形の様な美しい貌立ち。漆黒の和服に白い羽織り。年は十七、八だろうか。

 ディラックの海から顕現したのは、華禀。シンジの使い魔にしてハリーの育ての親。
 『世界の管理者』碇シンジが造り上げた魔獣。リンシリーズ。第一作品。悪魔。脅かすモノ。姉妹。美女。黒猫。碇シンジの眷属。

 喰らうモノ。
 真名: リン・ハスフィール・キルシア。

リンリン

 荒れ狂う魔力の渦の中心で、黒と白は互いの力を行使し続けている。

 黒い女性は、普段ならば絶え間なく笑みを浮かべているのに、今は感情を感させぬ凍った貌だ。此の刻を待っていた主の意志(おもい)を、創られた時に識らされてから、ずっと観て来ていた。失敗は許されない。シンジの予測式を自分のミスで崩せない。崩してはならない。

 白い少女の髪は、爆ぜた様に舞っている。空間を絡み巻き込み、くすりと微笑みを浮かべる少女に、躍動感を与えていた。剣指に集う白き闇は荒々しく、主の意志を表している。

 其の時、白き少女の眼が紅から蒼に変化する。
 剣指に白き闇以外のモノが集まり出す。

「――輪廻(想起)

 綾音は造られてから初めて、言葉を発した。凜とした声だ。

 水槍が穿たれる。
 ハリーは、使い魔を通して魔術を行使したのだ。

 華禀は眼を見開いた。概念を喰らう事象は、綾音の同質の力と対消滅している。
 手の平に水が触れる。途端。
 どん、と右腕は弾け跳んだ。くるくると腕は舞う。

 しかし。

 均衡が崩れた時が攻撃の機会だ。
 華禀は同時に左腕を穿つ。ぐん、と開いた五指が伸びて行く。綾音の左肩を掴み、ぐすりと抉る。
 綾音の左腕は弾け跳んだ。くるくると腕は舞う。

 互いに停滞が崩れ、其の場から弾けた。
 しかし、直ぐに体勢を整え、一合、二合、三合と屠り合う。



 シンジとハリーの攻防は、序盤の頃に戻っていた。シンジは機像(ゴーレム)に潜み、ハリーは朱線で消滅()す。
 互いに、戦闘行為によって魔力が激減する使い魔へ、魔力供給を行わなくてはならなくなったからである。
 そして、シンジとしては儀式の進行が一番大事で、ハリーとしてはシンジという規格外の存在を相手にするのに、接近戦なんて出来ない。まだシンジの方が強いのだから、確実に消滅()せる機会を見定めているのだ。

 シンジは其の間に儀式を進める。

 此の空間自体は呪文になった。シンジの意識を強固な物とする為の祭壇。高度な魔術を行う為には詠唱や自身の魔力だけでなく、生命の犠牲や土地自体の力をも行使しなくてはならない。
 シンジは現代に神殿を造り上げる事で、より高度な魔術を行なおうとしている。
 否、魔術ではない。此れ程の異界を用いる神秘は既に魔術の領域ではないのだ。
 此れは、そう――今の世界の常識では不可能な領域の神秘。
 『魔法』と呼ばれる、人の手が触れられない禁断の力の行使に他ならない。

 贄として、シンジの眷属である華凜の右腕とハリーの眷属である綾音の左腕、『バロールの幻蛇』とシンジ自身の右腕をまず設置した。
 此の儀式魔術はシンジとハリー、ヴォルデモートに縁がある存在を礎にして起動するのだ。
 土地も、霊地として格の高い【ホグワーツ魔法術学校】であり、更に龍脈が重なるスリザリンの工房である【秘密の扉】である。

 シンジが行う『魔法』は、ハリーの『世界』からの解放だ。ハリーは『世界の抑止力』に後押しされて『救世主(メシア)』、『英雄』と呼ばれる者になっている。だから、其の『世界』との繋がりを断ち切るのだ。ハリーという媒体に繋がるラインを通して、『世界の意志』である『菴摩羅識』へ殴り込みを仕掛けるのが、今回の儀式である。少なくとも、ラインを解呪する自信はある。ただ、同位階と雖も、否、だからこそシンジは警戒する。『菴摩羅識』を相手にするのに、万全を期して此の刻を選択したのだ。



 また、機像(ゴーレム)が壊れる。背後でがらがらと音がする。

 そして此れで、五芒星ペンタグラムによる陣形の頂点に、シンジが設置した機像(ゴーレム)は、ハリーの手によって壊された。

 凡ての魔方陣の基礎である五芒星ペンタグラム六芒星ヘキサグラム。其の内の五芒星ペンタグラムの頂点に機像(ゴーレム)を置き、魔力を流せる陣形を刻みつけた。そして、ハリーの攻撃を避けながらシンジの血で魔方陣を敷き、五芒星ペンタグラムと合わせていたのだ。
 今回は五芒星ペンタグラムを退去陣として機能させ、『世界』に憑かれたハリーのラインを浮き彫りにして、其のラインを通る予定だ。

 また一つ、儀式の工程は進む。

 既にシンジが隠れられる物はない。ハリーは五芒星ペンタグラムの中心におり、華禀と綾音はシンジから少し離れた位置で屠り合っている。

 此れで、残りは起動式のみだ。

 シンジは機像(ゴーレム)が崩れ落ちる前に、ディラックの海を4つ展開する。
 そして、左手で剣指を作って昏い海に突き刺した。

 同時に、二人の呻きが聞こえる。
 シンジの剣指は、空間を渡って華稟と綾音の心臓を穿っていた。崩れ落ちる前に、二人を昏い海へ引きずり込んでハリーの横に供えた。殺してはいない。心臓を取り除いたが、魂魄を留める核となる脳髄は其のままだ。ただ戦闘を続行出来る程の機能が稼動しないだけである。

 次いでシンジは海を渡り、ハリーの背後に現れた。ハリーが振り向く前に、血で濡れた手でハリーの後頭部を掴み、地面に叩き付けた。同時に、自の生命力を魔力に変換し、魔力を魔方陣へ通してハリーを魔方陣の核に縫い付ける。

 ハリーは完全には意識を失わずに、ぐらぐらと揺れる脳髄で魔術を起動させようとしたが、魔力が魔方陣に吸われて上手く術式を組み立てられない。しかしやがて、意識さえも支えていられなくなり、視界が闇に落ちた。

 シンジは嘆息した。ハリーの『力』がいかに脅威であろうとも、五年掛けて『シンジの世界』で侵食した、サラザール・スリザリンの工房である『秘密の扉』で敗れる道理はない。それに、此の空間では『世界』からハリーへ注がれる『力』と『意志』の転送率は悪い。故に、記憶の解呪と『英雄化』でのハリーの反転が起ころうが、シンジは殺されるとは思わなかった。

 ただ、儀式の成否が問題だった。

 此処からが正念場である。ハリーと『世界』の繋がっているラインを通って、『菴摩羅識』へ到る。そしてラインを解呪する。
 正真正銘の『魔法』だ。

 シンジの足許には、ハリーが俯せに、華稟と綾音は仰向けになっている。ハリーには傷は見られないが、二人の胸許の羽織とドレスは赤く染め上げていた。胸に大きな孔が空いているのにも関わらず、溢れる血の量は少ない。其れは、血液を受け入れ送り出す心臓がない為だろう。二人は休眠状態に移行している。無駄な消費を押さえて傷を治すのに尽力しているのだ。相応の魔力を流し込められれば、直ぐにでも心臓を再構成する筈だ。
 しかし。
 今は其の時ではない。シンジは、二人の心臓を魔方陣の核として、『魔法』を起動させる。強引な手法だが、使い魔の擬似的な死を持って、シンジの死とハリーの死を『世界』に誤解させた。此れで儀式の準備は整った。華稟と綾音に施していた術式を解凍して儀式の補助に廻し、シンジは呪文を唱える。深く、深く息を吸う。

I dig the world.(逃げちゃ駄目だ)

 シンジは、世界を穿った。







最終章 終わりと始まり 第五楽章 魔法 終幕









あとがき
 シンジ対ハリー。超能力だあ、魔術だあ、使い魔だあ、と色々やっています。
 ハリーは活躍しましたよね。後から登場した二匹に随分と魅せ場を獲られてしまった感じもありますが、本格的な能力と魔術の行使をしましたしので頑張ってました。

 残りは一話とエピローグのみです。

 豪快にして冷然とした挿絵です。鈴枷さんの技術は順調に上がっていくようです。

[最終章 第四楽章] [書庫] [最終章 第六楽章]



アクセス解析 SEO/SEO対策